2012/05/28

鉄の門まで来るとひとりでに開いた

彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。 使徒の働き12:10
 処刑予定日の前夜、幾重もの衛所や扉の奥の牢獄に鎖でつながれていたペテロは、主の御使いの先導に従い行くと、次ぐ次と通り抜けることが出来た。脱出不可能な鉄の鎖や扉また衛所も、神の前には無いも同然となった。 今、私たちは、御使いに勝る主イエスその方に先導されている。この解放事件の前に、主要な使徒のひとりヤコブの殺害を神は許しておられる。神の計画は人の考えを越えたおり、ある人を救い、ある人の死を許される。  この扱いの相違を厳粛に受け止めながらも、鉄壁をも開いてくださる神を信じて、主に従い行こう。

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2012/05/27

語る人より聞く人に

よく聞かないうちに返事をする者は、愚かであって、侮辱を受ける。 箴言18:13
 私たちは人の言葉を聞かないものだ。興味あることや関心事は聞く。だが聞いても仕方がない、聞く価値がないくだらないことだ、そう思うと聞いているようで聞かず、相手の話が終わることを待っている。聞かずともわかっていると思い込んでいるが、実は何もわかっていない自分に気づかない。 何度聞いた話でも、お年寄りが繰り返し話すことは、彼にはかけがえのない大事なことだ。相手が大事とし、話したいことに耳を傾けることは、その人へ敬意を示し愛することでもある。それはまた相手から学ぶことともなる。 人と接する際、語る人より聞く人になることを心がけよう。

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2012/05/26

あざける者はしかってくれる者を愛さない

あざける者はしかってくれる者を愛さない。知恵のある者にも近づかない。 箴言15:12
 自分は人に教えてもらう必要もないし、自分ひとりでやって行けると思い込んでいる人は、人を人とも思わず神の前にひざまずく必要も覚えない。人を馬鹿にし批判するが、自分の問題には気づかない。誰も叱られることを好まない。だが叱責を真正面から受け入れるところに成長がある。 神は人を通して私の誤りを教え、非難によって私の問題点を指摘し、日々の聖書や挫折また病などを通して、私に反省する機会を与えてくださる。人を指導し教えるよりも、私は教えてもらい、改善する必要のある存在なのだ。誰からでも、訂正すべきことを指摘されたら、その苦言を素直に受けて是正する柔らかで謙遜な心でいたいものだ。

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2012/05/25

神の恵みを見て喜び

彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。 使徒の働き11:23
 彼バルナバは、「りっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった」(24)とまで特記されている珍しい人物だ。人の成功を素直に我がことのように喜ぶことは容易ではない。だがバルナバは、彼とは無関係であったアンテオケ教会が霊的な祝福の中にある有様を手放しに喜んで祝福している。順調な教会の成長を独り占めせず、当時まだ不信の目で見られていたサウロを探し出して一緒に奉仕しようと依頼する謙遜と協調性がある(22)。そしてユダヤ教会の貧窮を支援する愛も豊かな伝道者であった(29)。 ユダヤ人と異邦人という、これまで水と油のように一度も交わったことのない人々を指導できたバルナバの、偏り見ない柔軟で誠実な姿勢、また人を引き立てて生かし、自分が脇役になることにも躊躇しない謙遜さ。「キリスト者、クリスチャン」という呼称を神が賜ったのも、彼の教会からであったことも肯ける。

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2012/05/24

皮なめしのシモンの家に泊まって

それで、ヨッパに人をやってシモンを招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれている。この人は海べにある、皮なめしのシモンの家に泊まっている。 使徒の働き10:32
 皮なめしは動物の死骸やその悪臭、工程で使用する動物の排泄物などのためか、社会から蔑視された職業で、シモンの家も町から離れた海辺にあった。タビタを生き返らせる奇跡などでヨッパ中から注目されたペテロが、なぜ皮なめしの家に滞在することになったのか理由は不明だが、何度も記される大事なことだった。 ペテロは、その家で、独り祈るときを持ち、「神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださ」(28)った、と告白する経験をした。そしてペテロは、異邦人にも、神の福音が無条件で分け隔てなく提供されるという新たな大使命に立ち上がることが出来たのである。 皮なめしの家、そこでのしばしの滞在も意義深い。

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2012/05/23

そしてただちに宣べ伝え始めた

そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。・・・・しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。 使徒の働き9:20、22
 神は人の予定や予想を超える不思議をなさる。サウロの迫害予定地が回心の地となり、さらに宣教地となった。彼も迫害者から伝道者と変えられた。こんな自分がキリストを伝えても人はどう思うか。いや、自分がどう思われるか、と推測し、伝道することを躊躇する。 サウロは自分を語らず、弁明せず、ひたすらイエスがキリスト救い主であることを伝えた。自分を語り、言い訳けし釈明することは新たな誤解を生みかねない。信じて間もなく学びも経験もないが、イエスが救い主であることを知った者は、伝道に踏み出す。神は彼に必要な言葉と力を与えて用い、福音は前進する。

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2012/05/22

5月20日ニュース

(予定)

★本日は当教会が、習志野バプテスト教会の伝道所として海神4丁目で最初の集会を開いて45年を経た記念の日です。1982年暮れに当地に移転し30年を過ぎようとしている。この記念礼拝に母教会習志野教会から丸山一郎先生にお出でいただいて説教を伺います。主に感謝して礼拝をささげましょう。
★創立記念の讃美集会は午後2時から3時の予定。プログラムをご覧の上、心を備え、主に期待して参加ください。習志野教会から30名近い兄姉たちがお祝いに駆けつけてくださいます。
★3時から習志野教会の兄姉たちをも交えてレセプションの時を持ちます。
★今週の水曜聖研では十戒の第三戒の学びに入ります。
★24日(木)午前はオリーブの会です。聖書と家族等の人間関係の学びをしています。
★26日午前、絵本の読み聞かせ会「KoToBaの会」が開かれます。応援ください。
★来主日礼拝では谷井伝道師が説教に当たります。牧師は熊谷教会で御用の予定です。
★6月9日(土)朝10時半から午後4時、東京聖書教会で「第二ロンドン信仰告白と信仰生活の実践」(講師ジエイムズ・ラナハン博士)の講演会があります(詳細掲示を参照)。

(報告)

★先主日の礼拝時に「母の日」の記念し、40名程のお母さん方への感謝の思いを中高生の兄姉からいただきました。お母さま方ご苦労さま。天からの祝福を祈ります。
★先主日午後、ラザロ霊園での墓前礼拝、30名の兄姉たちが参加し、故人を忍び天国へ思いを馳せました。
★45周年記念誌が完成しました。諸兄姉の証しを中心にした、今の船橋教会の状況を記録したものです。寄稿された教友、教会員は受付で受け取り下さい。
★宣教約束献金は来主日までです。約束のメモを箱に記入の上入れてください。
★午後集会の後の簡単な片付けと掃除にご協力ください。出来るだけ担当ファミリィを中心に奉仕できれば感謝です。
★今年の夏のキャンプは8月13~14日、幕張近辺のホテルで開催、多くの参加を期待しています

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5月20日メッセージ「45年目の創立記念の日に」

主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。わしが巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。ただ主だけでこれを導き、主とともに外国の神は、いなかった。主はこれを、地の高い所に上らせ、野の産物を食べさせた。主は岩からの蜜と、堅い岩からの油で、これを養い・・・ 申命記32:10~13

《今ここにあるのは主の恵み》

冒頭の聖句は、40年にわたる荒野の旅が終え、ヨルダン川の向こうに広がる「乳と蜜との流れる約束の地」を前にした時に、旅を回顧したモーセがイスラエルの民に語った言葉だ。長い試練の旅を終え、新しい時代が始ろうとしている。今ここに立っているのは、神の恵みに他ならない。獣の跋扈する荒野に放り出された赤子のような民を、神が、見つけて抱き、世話し守り導き、岩から水と蜜を出して養ってくださったので、彼らの今があるのだと。
これは私たちの教会のことでもある。「事実、あなたの神、主は、あなたのしたすべてのことを祝福し、あなたの、この広大な荒野の旅を見守ってくださったのだ。あなたの神、主は、この四十年の間あなたとともにおられ、あなたは、何一つ欠けたものはなかった。」(申命記2:7)と私たちも感謝する。そして改めて「わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」(イザヤ)46:3,4)との主の約束に励まされ、これからの旅に期待する。

《今ここにあるのは周囲の支え》

同時に、聖書信仰に堅く立つ母教会と、その決断と支援と祈りによって私たちの教会が始まり、今あることを覚えて感謝したい。また同様の信仰に立つフェローシップという仲間の諸教会の伝道者や信仰の友に、どれほどに支えられ、教えられ、励まされ、刺激を受け、信仰と教会の働きを続けて来ることが出来たことだろう。神学校、海外宣教と国内開拓伝道などとの関わりで教会は奉げることを教えられ、その恵みをいただいて来た。キャンプや姉妹教会からの伝道者によっても教えられ、信仰の回復を得て来たことか。これら一切を備えてくださった神に感謝する他はない。私たちはなお未熟な教会であることを自覚し、姉妹教会に謙遜に学び、独断と偏見を正されて主の教会として成長して行こう(箴言15:33)。

《今ここにあるのは使命を託されて》

45年を経た私たちの教会は、完成しているわけではない。今ここにあるのは、船橋教会が「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するため」であり、「一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられる」(エペソ4:13、16)ためである。このような成長を遂げる教会は、当然に伝道の働きを進めて、神の救いを伝えることに犠牲を惜しまない。神はこのような使命を、この場所で果たすことを期待しておられる。さあ。主に大いに期待し、その恵みの業を共に見ようではないか。

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«見えるものが無くとも、主イエスがおられるので