2016/08/28

8月28日ニュース

《予 定》 
★本日の礼拝後、牧師宅で壮年会、教会堂において婦人夏の会と青年会を開きます。また4時より夕涼み会です。
★来月2日(金)にイトーピア集会が開かれます。
★5日(月)に軽井沢の神学校で入学式が開かれ、5名が入学します。新学期の祝福、さらに献身者が起こされますようにお祈り下さい。
★9日(金)にしいの木台集会が開かれます。
★11日(日)の礼拝は、敬老記念礼拝としてお献げします。老若男女が心一つにして主を崇め、互いに愛し合って主に仕える教会でありますように。また同日の例会後のお昼の時に22日に結婚されるマハー伝道師の送別の時を計画しています。
★柏伝道所の祝福のためにお祈り下さい。9月より月一度、柏のともしび配布の応援を計画しています。
★15日(木)に教会婦人会を開きます。説教者のマハー伝道師のためにお祈り下さい。
★18〜19日に手賀沼で京葉地区合同青年交わり会が開かれ、当教会からも参加します。この集いは諸教会の青年リーダーによって企画運営しています。本日夕方習志野教会でのリーダー会に当教会の青年役員が参加します。

《報 告》 
★今週22〜26日の合同で中高生キャンプから無事戻ってきました。お祈りを感謝します。本日礼拝であかしの時を持ちます。
★先主日、月例会を開き、新会堂の会計報告の承認および、9月18日の柏伝道所への牧師の出向を承認しました。9月18〜19日の三澤師の亀岡教会への出向の留守を守ります。
★病の方々のいやしと支え、また夏休み中の学生、受験や就職に臨む兄姉の支えと導きをお祈り下さい。

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8月28日メッセージ「父との一致の内に働かれる御子」

 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。
ヨハネ5:19(15〜29)

 世の光として来られた救い主のみわざは、光を信じて人々に救いをもたらすと同時に、光を拒む罪をあらわにすること(3:17以降)が、現実となりました。しかし、迫害を通してイエス様は、ご自身がどんなお方であり、どんな救いをもたらすために来られたかをはっきりと示されました。

《第一に、敬虔に見える人の内を自己中心が支配していたことです(15〜18節)》 

礼拝を通して神の祝福をいただくために定められた安息日が(マルコ.2:27)、指導者の特権を守らせるための規定にされていました。安息日を破ったとして、指導者たちはイエス様をののしり非難します。イエスが神の子であることを認めず、神を冒涜していると怒って殺そうとしました。自分の信念が神のあかしよりも先になっていたからです。自己中心の深い根は、「自分が正しいとみなす」ものを基準にして、神に対しても譲ろうとしない所にあります。光である御子によって、罪の自己中心を暴かれた彼らは、救い主・神の御子を拒み、偽証によって訴え、不正な証言、裁判官を脅迫するまでして、キリストを死刑にすることでした。私たちは、主によって自分の罪が照らされた時に、拒んではなりません。

《第二に、御子キリストは、ご自身の全き義をあかしされました(19〜23節)》 

御子は、父への完全な愛と信頼と従順をもって、御父との一致をあかしされました。これが神との正しい関係、聖書の言う「義」です。さらに、御子は義の模範となるだけでなく、ご自身の完全な義を、私たちに与えられます。支配者たちは、キリストを十字架にかけ、これで邪魔物は去ったと安堵します。しかし御子は死者の中からよみがえられ、弟子たちの信仰をもよみがえらせます。そして彼らは、キリストの復活を力強く宣べ伝え、彼らを通してキリストの義が、迫害に勝利して広がり続けているのです。

《第三に、御子キリストはご自身の義を私たちに与えられます(24〜29節)》

 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです」(24節)。これは今いただいている救いです。この救いは、永遠に至ります。御子を信じた者は、朽ちない栄光のからだによみがえり、いつまでも主と共に神の祝福の内に生きます。それは、ただ神の御子を信じて救いの恵みを受けただけです。一方御子を信じない者は、終わりのさばきの時に、よみがえって永遠のさばきを受けます。かつて主を拒み教会を迫害した「罪人のかしら」であったパウロでさえ、キリストを信じてキリストに似た者に変えられ、こう証しします。「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです」(2コリ13:8)。真理とはキリストです。

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2016/08/21

8月21日ニュース

《予 定》 
★本日の礼拝後、主の晩餐および月例会を開きます。会員の兄姉はお集まり下さい。定例の議事に加えて、新会堂建設の決算報告の承認等の決議を行ないます。
★本日礼拝直後に聖歌隊の練習、午後に教師会を開きます。
★本日は昼食の用意があります。
★今週22〜26日に水上で港北ニュータウン教会と合同で中高生キャンプを開きます。教師3名と平野連太郎兄が参加します。祝福をお祈り下さい。
★第4主日(28日)の午後は、壮年会(牧師宅)、婦人夏の会、青年会をそれぞれ開きます。4時からは夕涼み会を開きます。友人知人をお誘いしましょう。
★9月19日(月)の谷井涙賀伝道師の按手礼式に参加する兄姉は、本日中に、受け付けの表に記名して下さい。

《報 告》 
★14〜15日に教会堂において教会キャンプを開き、44名が参加し、「ビジョンを確立しよう」のテーマで4回の集会、2回の分科会で、主のビジョンを共に見ることをみことばから学び、教会のこれまでの恵みとこれからの展望を語り合って発表しました。また新会堂でゆったり交わる時をいただくことができました。お祈りとご奉仕を感謝します。
★主の日、また水曜の会堂清掃に大勢の兄姉がご奉仕下さり感謝しています。主から委ねられた新会堂を美しく保って、新再来者を迎えましょう。土曜日午前10時からも行なっています。
★柏伝道所の集会への応援参加をお願いします。9月から母教会からも、柏ともしび配布に出かける計画です
★病の方々のいやしと支え、また夏休み中の学生、受験や就職に臨む兄姉の支えと導きをお祈り下さい。

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8月21日メッセージ「よくなりたいか・・・ベテスダの池での救い」

イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」 ヨハネ5:6(1〜18)

 再び、祭りでエルサレムに上られたイエス様は、ベテスダの池に伏せっていた一人の男性に声をかけ、神の救いの恵みをあらわして下さいました。イエス様が彼にかけられた三つのことばに注目し、私たちもイエス様の語りかけを通して、主を知りましょう。

《第一に,すべてをご存じで「なおりたいか」と問いかけられました(5〜7節)》 

水面が動いた時に、最初に水に入ることのできた人がいやされると言われていたベテスダの池に、大勢の病人が回復を願って集まっていました。元気になって、ここから出られる希望は、先に水に入るかどうかにかかっているとされていました。他に先んじて勝者にならなければ、抜け出せないという状況は、競争社会の縮図でした。主から「なおりたいか」と問われても、男性は、自分を池に入れてくれる人がいないと希望のない答えしかできませんでした。しかし、主の厳しい問い掛けは、私たちを現実に向き会わせるための語りかけです。つらくとも、主の語りかけをすなおに受けましょう。それが恵みの始まりですから(申命32:39)。

《第二に、主のみことばは、信仰を通して力ある働きをします(8〜13節)》 

「イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した・・・」(8〜9節)。主のみことばは、彼の内に信仰を呼び覚まし、その信仰を通して主のことばの通りに、彼は立ち上がり床をたたんで歩き出しました。十字架の福音は、罪の中に留まるしかないとあきらめた人に、信仰を呼び覚まし、約束の救いをもたらします。しかし一方で、彼は支配者の敵意の対象になりました。いただいた主の恵みを、厳しく問いただされ、否定するようにと脅されます。私たちも主の恵みをいただこうとする時、反対を受けるでしょう。恵みの主のもとにしっかり留まりましょう。

《第三に、霊肉共に正しくなるように導いて下さいました(14〜18節)》

 「その後、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません・・・(14節)。もし彼が、病をいやされたところで満足してしまったら、罪の生活は正されません。救いの目的は、肉体だけ元気にされることではないのです。霊肉共に正しくされ、神との幸いな関係の内に歩み出し、創造された本来の目的である神の栄光をあらわす者になっていきます。神の前の健康は、罪に勝利する道を歩み出して始まります。
 「もう罪を冒してはならない」・・・病を厭い、神と自分をのろい、自分をそこなってきた彼でした。恵みをいただきながら、この罪を悔い改めなければ、神との幸いな関係は恵みをいただく前よりもさらに遠ざけられてしまいます。この人が、その後どうなったか聖書は沈黙しています。そして、私たちに毅然とイエス様の側に立つ決断を迫っているのです。明確な回心と、明確な献身をもって十字架の主に従わせて下さいと求めましょう。

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2016/08/20

神は私たちを生かす方

見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。 マラキ4:5
 旧約聖書は、厳しい審判の神の姿以上に、恵みと慈しみの神を教えてくれる。確かに神は、罪を重ね背き続ける民を容認はなさらない。だが、旧約聖書の最後の言葉が、「わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないため」に、預言者を遣わして「父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる」(6節)である。 神は悪を憎みそれを徹底的に排除なさろうと、審判の「主の大いなる恐ろしい日」を予定なさる。だが同時に、深い配慮と愛をもって私たちを何としても救い出そうと関わってくださる方だ。警告だけにとどまらず、御子キリストと聖霊のお働きを通して、私たちに、神を父と仰ぎ、感謝と信頼をもって仕える子の心をお与えくださる。私たちは、その実現を新約聖書に見ることが出来る。 聖書は希望の書であり、神は私たちを回復して生かす方だ。

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2016/08/19

この父のもとにすべてを委ねよう

彼らは、わたしのものとなる。──万軍の主は仰せられる──わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。 マラキ3:17
 「神に仕えるのはむなしいことだ。神の戒めを守っても、万軍の主の前で悲しんで歩いても、何の益になろう」(14節)。信じても神は何もしてくれないではないか、信仰に何の意味があるのか。  当時の民は生ける愛の神を見失い、神に捧げるべき十分の一献金を己のふところに入れ、「ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる」(8節)と神に「盗人」と指摘された。  神に献金をささげて礼拝を守り、誠実に仕えることは、義務ではなく嬉しいことだ。私たちを「わたしの宝」と呼んで慈しんでくださる父のような神の祝福の中に生かされることを願ってのこと、この父のもとに身を委ねよう。

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2016/08/18

初めの思いを最後まで

彼の口には真理の教えがあり、彼のくちびるには不正がなかった。平和と公正のうちに、彼はわたしとともに歩み、多くの者を罪から立ち返らせた。 マラキ2:6
 神は昔レビを祭司に任じ、レビはその使命を畏れ喜び、誠実に果たそうと努めた。当初のレビ族の祭司たちの初々しい、懸命の奉仕ぶりがここに紹介されている。 ところが、今はどうか。「しかし、あなたがたは道からはずれ、多くの者を教えによってつまずかせ、レビとの契約をそこなった」(8節)と神は嘆かれ、「 わたしもまた、あなたがたを、すべての民にさげすまれ、軽んじられる者とする。あなたがたがわたしの道を守らず、えこひいきをして教えたからだ」(9節)と宣告された。 私たちの信仰の歩みはどうだろうか。救われた時のあの喜びを今も覚えているだろうか。バプテスマを受けた時の感動、献身した時の決心などからは遠く離れた冷めた思いと生活をしてはいないだろうか。たとえ誰かがそうであっても、私自身は神のしもべとして誠実に歩んで行きたいものだ。

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2016/08/17

神の祝福の有無こそが、もっとも大事なこと

あなたがたは、盲目の獣をいけにえにささげるが、それは悪いことではないか。足のなえたものや病気のものをささげるのは、悪いことではないか。さあ、あなたの総督のところにそれを差し出してみよ。彼はあなたをよみし、あなたを受け入れるだろうか。──万軍の主は仰せられる── マラキ1:8
 自分の損得に関わることなら、多少の犠牲を払っても相手の好意を得ようと図る。時の為政者から好都合な許可を得ようと、立派な羊を揃えて贈り物とする。だが、真の神に対しては売り物にもならないような欠陥のあるささげるのに、何のためらいも覚えない。それは神を軽んじている証拠ではないか、と預言者は指摘する。 振り反って、私たちの態度はどうか。人への配慮以上に、神の意向を重く見ているのだろうか。人のご機嫌がどうであれ、神の祝福の有無こそが大事なことだと承知しているのだろうか。それが信仰者の当たり前の姿勢であり、私たちの人生を決定する要因なのだから。

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«主が喜んで受け入れてくださるのだから