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2010/08/09

愛するということ

「世の富を持ちながら、兄弟の困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。」(ヨハネ第一3:17)

田舎から出てきた学生が、夜も遅く人恋しさにコンビニに出かけるような癖が付きかけた時、知り合いの宣教師が彼に、「我が家に遊びに来たら」と声をかけてくれた。それから一年、毎日のように学生は宣教師の家に出かけ、夜10時頃から12時前まで、コーヒーをごちそうになり、何をするでもなく過ごすことになった。

それから10年後、牧師になった学生が、帰国した宣教師を訪ね、「あの当時は先生の都合も考えず、夜遅くまでお邪魔して申し訳ありませんでした。」と詫びると、宣教師は「いいえ、人を愛するということは、人に時間を与えることだと思います。」と返事し、さらに牧師が「いつかはこのお返しを・・・」と言うと、「お返しは要りません。同じような必要な人がいたら、同じようにしてあげて欲しい。それが一番のお返しです。」と言われたと言う。

兄弟に関心を持ち、気にかけ、時間を与える。これが愛である。

~機関紙「いこい」2007年10月号より抜粋~

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