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2010/09/21

9月19日メッセージ「人々の罪の中に立つ救い主」

イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」 マタイ26章64節(57~75節)

《かたくなさ》

人は自分の考えや行動を他の人に否定されると面白くない。特に指導的な立場にあって教えていることを否定されると逆恨みも抱く。祭司長、律法学者たちは、彼らが期待していた救い主の姿とイエスとがあまりにも違っていたので、イエスを拒絶した。さらにイエスの言動が彼らの信仰理解の間違いと偽善性を浮彫にする結果となって、イエスに強い怒りをつのらせ、群衆のイエスへの傾倒に嫉妬と不安を抱く結果となった。神の御子に間近に接する機会を得ても、自分の考えに固執し自尊心や損得勘定のメガネで見ては、「見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず」(13:13~15)となり、神の恵みを拒絶し悪に走る結果を招く(ヨハネ11:47~54)。そして滑稽なことに、イエス殺害を正当化しようと、偽証を求める(59)。

《自己保身》

ペテロは、長老たちと違い無学な漁師で、イエスを信じて従うにこだわりはなかった。そしてイエスへの愛から、連れ行かれるイエスのあとをつけた。イエスの「わたしに従いなさい」と命じられた言葉どおりだが、恐れで「遠くから」で、さらに「成り行きを見ようと役人たちといっしょにすわった」(58)。イエスの身を案じつつも、弟子でないふりをしてである。ペテロはピリポ・カイザリヤで弟子を代表してキリストを告白し、最後の晩餐の席でも、死ぬことがあっても覚悟は出来ていると大見得をきっていた。平穏無事の時は告白するが具合の悪い時は告白しない、では本当の告白とは言えない。自己保全を計ろうとする信仰は、塩気を失った塩が外に捨てられ人に踏まれるように、次々と崩れて行く。
女中のひとりに「イエスといっしょの人だ」と言われ、失いかけていたペテロの信仰は次々と吹き飛んだ。一度の妥協は次の妥協を生む。三度の裏切りの後、鶏が鳴き、ペテロの心にイエスの言葉が響いた。人の中からは新しい力は生まれない。だが外からの、イエスの言葉が、ペテロの偽りの自信を砕き、イエスの約束の言葉が信仰として留まる(ルカ22:31、32)。

《主イエスの宣言》

民の指導者たちの悪意と弟子たちの卑怯さの中で、主イエスは沈黙しておられる。偽証の飛び交う不法な裁判の席でも抗弁を一切せず、唾を吐きかけられ、殴られ、嘲弄され続けた。それは無力を意味しない。イエスの予告どおりであった。「人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。彼らは人の子をむちで打ってから殺します」と(ルカ18:32、33)。イエスはメシヤ預言を成就しておられたのだ(イザヤ50:5~6、53:7)。そして偽証などではなく、イエスご自身がひるむことなくはっきりと冒頭の言葉を宣言された。「あなたの言うとおり、わたしは神の子キリストです」と。一歩も退かぬイエスの証言が十字架に進ませ、弟子たちの、そして私たちの救いを成就することに至る。この「イエスといっしょ」におられる幸いを感謝し、その告白に倣い従い行こう(Ⅱペテロ2:20~25、Ⅰテモテ6:12~14)。

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