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2010/09/28

9月26日メッセージ「血の畑」

彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの人々に値積もりされた人の値段である。彼らは、主が私にお命じになったように、その金を払って、陶器師の畑を買った。 マタイ27章9、10節(1~10節)

《神の恵みの計画》

ユダの手引きで、イエスは出エジプトを記念する過ぎ越しの祭りの最中に十字架に架けられることになった。バプテスマのヨハネがイエスを指して「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」と預言したことが、実現しようとしている(ヨハネ1:29)。昔イスラエルの民はエジプトの奴隷状態から解放され自由の民となった。そしてこれから第二の過ぎ越しが起ころうとしている。それは、神の御子イエスが犠牲の小羊となり、人々を罪の奴隷から解放し神の国に招くものであった。ユダの裏切りは、祭司長たちの当初の殺害計画を早め、イエスをその過ぎ越しの祭りの中で処刑する結果を招いた(26:5、16参照)。ユダは、知らずして神の恵みの計画に仕える結果となっている。ユダの罪は赦されるものではないが。

《ユダの後悔》

ユダは、イエスが総督に引き渡される段になって後悔の念に駆られ、神殿に出かけ、祭司長たちに会って「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして」と告白した。相手にされなかったユダは、絶望して首をつって死んだ。彼の後悔は、自殺するほど深刻なものだった。同じ頃、ペテロは女中の言葉に怯えてイエスを裏切った後、激しく泣いただけであるのと比べても、ユダの方が真剣だとも言える。違いは、ペテロはイエスの言葉(ルカ22:32)を思い出して「悔い改めた」が、ユダは「後悔した」だけであった。悔い改めは方向を転換して神に立ち返ることだが、後悔は自分の行為の結果を見て、そうしなければ良かったとやってしまったことを悔やむだけである。後悔は、自分の犯した失敗や判断や行為の非、不十分さ、過ち等を悔いるだけで、「神に対して」罪を犯したという意識がそこに欠けている。後悔し続けていても、「駄目だった、馬鹿だった、失敗だった」という絶望以外に何も生まれない。しかし神に立ち返る「悔い改め」は新しい世界への出発となる。「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」Ⅱコリント7:10。

《血の畑》

自己保身に走る人の弱さや卑怯さ、相手の正しさや立派さを素直に認められず嫉妬し、誤りを指摘されるとかえって逆恨みし憎しみに駆られる醜さが、十字架に向かわれるイエスの周囲にうごめいていた。主イエスはそのような人々の罪と咎を我が身に引き受けて死のうとしておられる。ユダが神殿に投じたイエスを売った血(死)の代価銀貨30枚は、旧約聖書の預言の通りに、行き倒れの旅人(外国人)の墓地購入に使われた。救い主イエスのいのちは、ユダヤ指導者の評価では奴隷一人の購入費にも満たないものだった。だがエレミヤがアナトテに購入した土地が、捕囚からの回復を約束する印であったように(32:6~15)、その不浄の貧弱な狭い「血の畑」は、全世界の異邦人を迎える神の輝かしい救いを象徴するものであった。21:42参照。

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