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2010/10/17

10月17日メッセージ「神に求めよ」

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 マタイ7章7節(7~11節)

イエスは山上の説教で権威ある者として大切なことを教えて下さった。その中でも実にシンプルで、神からの約束として多くの信仰者に親しまれているのが今日の聖句である。だがこの言葉の記憶だけに終わらせず、肝心の「神に求めて与えられること」を具体的に実践し与えられる方法を、今朝は学ぼう。

《何を求めるのか》
 

まず「求めなさい」との勧めに対して、自分は何を求めているのか、何に必要を覚えているのかを自覚しなければならない。生きている限り様々な必要がある。現代は、もので溢れており、実際の必要以上のものを求める傾向がある。イエスはすでに、何よりも第一に求めるべきは「神の国と神の義」だと明確に教えておられた(6:33)。それは、神をこそ最も大切なもの(必要)として求めよということだ。世界に満ちているすべてを創造し、維持しておられるのは神である(使徒の働き17:28、伝道者の書2:25)。私たちは、愛の神の完全な配慮の中に生かされている。だから神の喜ばれること、神の願っておられること(みこころ)を、第一に求めよう。キリスト者は、神のみ旨に考慮すると、本当に自分に必要なものとそうでないものが吟味されて行く。それは必ずしも禁欲的な生活を意味しない。神はすべてのものを豊かに与えて祝福なさる方である。その神のご意向を第一にして、自分の求めるべきことを確認することが大切だ。

《どのように求めるのか》 

次にどのように求めるかを考察しよう。「求めなさい」は、「求めていなさい、求め続けなさい」という継続の意味を持つ。一度求めたからもういいではない。「求め続けなさい。捜し続けなさい。たたき続けなさい」である。もちろん祈りが自分の思うようにすべて瞬時に聞かれるわけではない。祈ったが手応えがなく、希望の見えないこともある。信仰の忍耐が試される。しかし、祈りつつ待ち続ける時間は、神のみこころをより深く知り、信仰が養われる素晴らしい時となる。だから祈りを止めてはならない。必要なら願いを軌道修正し祈り続けよう。神は、私たちの祈りに目を留め耳を傾け、最良の時に最善の方法で応えて下さるのだから(ヨハネ16:24)。

《誰に求めるのか》 

自分の必要は自分が一番良く知っている、と私たちは思い込んでいる。だがそうだろうか。幼児は彼の必要を聞かれたら、今目にし身体が要求するモノ以外のことは思い浮かばないだろう。案外と私たちも、信仰的な面では幼児性から卒業していない。自分の目先の、肉の思いを満たそうとする傾向から抜け出せないでいる。祈りを聞きたもう神は、クリスチャンの父として、愛する大事な子が何を必要と知るかを承知し、そのすべてを満たしてくださる。昔、神以外のものに頼ろうとしたイスラエルの愚かさを嘆きつつ、なおも祝福を注ごうと、私たちを待つ神を信じて、大胆に祈り続けよう(イザヤ30:15、18)。

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