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2010/10/25

「する」よりも「される」信仰世界

「神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに・・・私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」(新約聖書 前ペテロ1:3)

キリスト教信仰は自分で何かをするということが前提ではない。福音は私たちと共にいてくださるキリストが私たちに「して下さる」「させて下さる」「与えて下さる」の3語に尽きると、ある牧師が記していた。そこには人間の努力や功績の侵入する余地はない。

努力も必要ではないか、との主張もある。だが上記の聖句のように、神は「私たちを生まれさせ、持つようにしてくださった」。私たちはともすれば強く・偉く・立派に「なろう」とする。でも「なった」ところには傲慢と高ぶりが臭う。むしろみことばと聖霊によって、私たちは強く・弱く・信仰深く「される」必要がある。「された」ところには、痛みと悲しみが伴い、感謝と謙遜が自ずと生じる。キリスト教信仰は、「する世界」ではなく「される世界」なのである。

エペソ2:8「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」ここには明確に信仰、救いが神からの賜物だと記されている。ここからずれてはならない。

~機関紙「いこい」2008年10月号より抜粋~

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