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2010/11/02

10月31日メッセージ「この戦いは主の戦いだ」

「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かってくるが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。・・・この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」 Ⅰサムエル17:45、47(20~50)

《主は必要な訓練を与えてくださる》

サウル王の跡継ぎとして、主の目にかない、主に油注がれたダビデはベツレヘムの野で羊の番をしていた。上の3人の兄たちが戦場にいた時も、彼は戦力としては到底見向きもされないほどの存在、少年であった。だが、羊飼いの働きは生半可では勤まらない。羊は一家にとって大切な財産であり、命がけで羊を守るのが務めだ。少年ダビデは、獅子や、熊などの猛獣に立ち向かい、日頃から様々な危険な境遇に直面し勇敢に戦っていたのだ。主はダビデを戦いのために備えて下さっていた。必要とされる訓練を与えておられたのだ。今一人ひとりが置かれている持ち場は、主が必要な訓練と準備を与えるために特別に備えられている環境である。目の前の困難に立ち向かうためにやはり訓練は欠かせない。神は一人ひとりに戦いに必要な訓練を与えてくださる。大切なことは、それを主からのものとして信仰によって受け止め、いかなる時も主を信頼することである(ローマ8:28)。

《主は必要な勇気を与えてくださる》

ゴリアテを目の前にしたイスラエルの戦士たちは、非常に恐れた(17:11)。しかしダビデは、ゴリアテがイスラエルの戦陣の神をなぶったことに対して憤りに燃え、勇敢に、そして積極的に巨人に立ち向かう。相手は、蛮勇を振るい、完全無欠の装いでダビデの前に立ちはばかる。しかし、巨人ゴリアテを目の前に、ダビデは勇敢に立ち向かう勇気が与えられた。なぜなら万軍の主、イスラエルの神を畏れていたからだ。それは、47節にあるように、「この戦いは主の戦いだ」、主が私と共に、またイスラエルと共におられると信じて信頼していたからだ。神は、信仰者の日常の戦いに無関心ではない。自らが先頭となり戦ってくださる。信仰者もダビデのように祈りの中で「これは主の戦いだ」と決断するとき、そこには主がおられることを知り勇気と力が湧いてくる(イザヤ41:10)。

《主は必ず勝利を与えてくださる》

ダビデは、いつもと同じ戦い方で石投げと一つの石で巨人を打ち負かした。そこには、自分の力に依存するような「力み」はなく、主に全面的に委ねきり、一発命中させたのだ(詩篇28:7)。勝利は主が与えて下さる。信仰者が得る勝利は必ずしもこの世のそれと同じことを意味しない。キリストはご自分の神としての権利もすべて捨てられ、身を低くして仕える者となられた。そして、十字架で身をくだいてくださった。キリストに従う者には最終的に必ず勝利がある(ローマ8:37)。

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