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2010/11/09

11月7日メッセージ「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」

さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。               マタイ27:45、46(45~56)

《救い主は神に見捨てられた》

イエスの死が近づくと、全地が暗くなった、黒一色になった。祭司長や律法学者、総督や兵士、群衆と強盗、イエスの弟子も、誰もがみな罪を負っている。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ」ないし、義人はひとりもいない(ロマ3:23、10~12)。暗黒は、全人類の罪を表している。あるいは罪への怒りか(出エ10:21~23)、神のひとり子の死を悼む喪の暗さか(アモス8:9~10)。マタイは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ、私の神が、なぜ私をお見捨てになるのか。」との悲痛な叫びをアラム語のままを記す。たとえ人々に拒絶され弟子に裏切られても、父の神が常に私の味方だ。これがイエスの支えであった。しかし今、全人類の罪を背負ったイエスは、神の審判と怒りの対象とされ、愛し信頼する父の神から、滅びと呪いの死の中に見捨てられた。本来なら、私たち人間が神に見捨てられた恐怖と絶望の中から発する叫びを、私たちに代わって罪とされた御子イエスが叫んでおられる(Ⅱコリント5:21、参照ロマ8:32)。

《救い主は幕を引き裂いた》

主イエスの最後の言葉は「完了した。父よ、わが霊を御手に委ねます」であった(ヨハネ19:30、ルカ23:46)。その時、神殿の至聖所と聖所を隔てる垂れ幕が真っ二つに裂けた(51)。垂れ幕は、人が聖なる神のそばにそのままでは近づけず、大祭司の贖いの必要を示していた。それが、イエスの十字架の死で完全な罪の贖いがなされ、神と人とを隔てが取り払われたことを意味する。「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです」(ヘブル10:19~20)。イエスが神に見捨てられ殺されることで、見捨てられていた私たちに神と交わる生ける道が開かれたのである。聖徒の甦りの奇跡は、死を滅ぼし永遠のいのちにつながる復活の門が開かれたことを示した(52、53、Ⅱコリント15:20)。

《救い主は息を引き取られた》

神はイエスを見捨て死に渡された。イエスは、その死を引き受けられた。殺されたのではあるが、「多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与え」たのである(20:28)。「偉大な旧約の預言者エリヤが助けに来るのでは」という人の願いにも神は応えない。イエスは、神にも見捨てられ敗北とも見られる死を迎え、「息を引き取られた」(50)。イエスは「誰かに殺された」というより、「死を引き受けた」のである。イエスが勝利者のような態度で死を死んで行かれたのは、「その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした」(ヘブル2:14~15)。

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