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2010/12/21

12月19日クリスマスメッセージ「神のみ子メシヤ誕生のしるし」

きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。 ルカ福音書2:11,12(1~20)

赤ちゃんの誕生。そこには両親らの喜び、親となった誇らしさ、赤子への膨らむ期待、家族らの明るい歓迎があり、誕生のいきさつなど細かな情報が嬉しく飛び交う。では、神の子の誕生、メシヤの到来ともなれば、栄光に彩られた輝かしい情景だったのではと、人は想像する。では聖書はどう告げているのか。

《皇帝の命令に服し》

何を差し置いても、臨月の母体の安全を優先させるべきだと、私たちは判断する。だがヨセフは、はるか遠くの都から発せられた皇帝の勅令で、身重の妻マリヤを連れて危険な旅に出なければならなかった。巨大な権力に抗する力のない、無力な被占領地の民である故か。否、イエスは神の御子である。神は、必要なら無力な者を力ある者に引き上げることも容易だし、皇帝の命令を変えることも出来る。王の王たる方の誕生を、清潔で安全な場所で、世話する人々の支援と医師たちの見守る中で迎えさせることも出来る。しかしヨセフは、妻の身重の母体に危険な長旅を、一言の抗弁もせず受け入れており、神はそれを良しとなさった。御子はご自分を例外とはなさらず、理不尽な地上の秩序の下に、低く謙虚に、ご自分を置かれた(ロマ13:1~2、Ⅰペテロ2:13~14)。理不尽な扱いを受ける底辺の者の友となるために。

《宿屋に居場所なく》

イエスを宿し臨月の身のマリヤとその夫に、出産の場を提供してくれる親切は、この地上になかった。「宿屋には彼らの居場所がなかった。」(7)。身の置き所のない悲しみ、拒絶されるつらさ、誰一人自分を迎え入れてくれる人のいない寂しさを、イエスは人となって経験された。「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」(ヨハネ1:11)。御子イエスは誕生に際して無視され、故郷ナザレでも歓迎されず(ルカ4:24)、最後に「生きている資格無し、死罪にふさわしい」と罵声を浴びて十字架に架けられ、世を離れざるを得なかった(マルコ15:13、14)。イエスは「悲しみの人にして病を知っていた」(イザヤ53:3)方なので、あわれみ深い大祭司となられたのである(ヘブル2:17、18)。

《布に包まれ飼葉おけに》

メシヤのしるしは、布にくるまれて飼葉おけに寝ていることだという。どこに神の子の栄光がろうか。それは、無力さと貧しさを告げるに過ぎない。今風に表現するなら、橋下のビニールテントの中で、段ボール箱にボロに包まれ寝かされている赤ん坊、となろう。人の助けをひと時も欠かせない赤ちゃんだ。イエスは私たちの救いのため、低く、貧しく、小さく、無力になられた(Ⅱロマ7:9)。そんなみじめな状況の中、イエスは無防備な姿で、マリヤたちに身を委ねておられた。強く、高く、多く、といつも上を望む私たちと違い、主は人の下に身を置き、へりくだって徹底的に仕える姿をとられた(ピリピ2:5~8)。すべての人を救うため、神の位を捨て、すべての人の下に身を置かれたのである。ここに私たちへの無限の愛が置かれている。

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