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2011/03/02

2月27日メッセージ「仲間と教会への心遣い」

だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。         ピリピ書2章21節(19~30)

パウロの弟子テモテと、ピリピ教会から派遣されて来て軟禁中のパウロの世話を焼いてくれたエパフロデトの二人を、ピリピ教会に紹介しているパウロの記事から、パウロの教会と同労者たちへの心遣いを見る。 

《パウロの計画》 

長年一緒に福音に仕えてきたテモテは、「私の愛する、忠実な子」(Ⅰコリント4:17)とパウロが紹介する大事な弟子で、軟禁中のパウロにとって手放し難い存在だ(Ⅱテモテ4:10、16)。だがテモテは、パウロの信仰と教会指導の仕方や心を、誰よりも熟知している。迫害と微妙な信仰上の問題を抱えていたピリピ教会に助言と励ましを与える最善の人物だった。だがここには、教会に益を与えてやる、そのために自分は犠牲を払うのだ等との、うぬぼれや恩着せがましい雰囲気はみじんも見られない。むしろ「私もあなたがたのことを知って励ましを受けたいので」と謙遜に理由を述べ、自分の都合や願いが先ではなく「主イエスにあって望んでいます」と神の御旨から出た計画であると言う(19)。パウロは、「キリストのことを求め、主にあって」と神のみ旨を伺い(21、24、29)、隣人への思いやりと心遣いをもって、神と人とに仕えている。

《使者テモテの紹介》 

人を紹介する言葉には、紹介者の価値観や人となりが顕れる。ここにパウロの人物評価の基準、キリスト者にとって何が大切にすべきことと考えていたかが見える。テモテは「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい」を己の生き方としており、パウロと同じ思いで「真実にあなたがたのことを心配している」人であった(4、21、20)。「真実に、親身になって」とは、人のことを決して他人事とせず、本気になって自分のことのように誠心誠意を尽くすことだ(マタイ22:39参照)。そこには自己中心の心はない。キリストを大きくしないで、自分を大きくしようとする奉仕は、自己奉仕とでも呼ぶべきもので、教会には無用だ。本物の奉仕者であることは、長年の「りっぱな働きぶり」で実証されるものだ(22)。

《窮乏の時の奉仕者エパフロデト》 

彼の名は、この後4:18に、ピリピ教会からの贈り物を運んできた人として登場するだけだ。彼はピリピ教会からパウロに品や金銭を届け、しばらくパウロの小間使いのような世話役を務めるようにと、派遣されたのであろう。だがその役目途中で「死ぬほどの病気にかかり」(27)、パウロらに十分に仕えられないだけでなく、逆に世話になる羽目になったのであろう。だがそのエパフロデトの面目のない立場を思いやるパウロの筆に驚かざるを得ない。どれほどの働きをしたと言うのか、その彼を「私の兄弟、同労者、戦友」と紹介し、「キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったから、あなたがたの私に仕えることの出来なかった分を果たそうとした」のだから「彼に尊敬を払いなさい」(25、30、29)と勧める。窮乏の中にいる使徒を、神の器として敬意と愛をもって仕えようと出かけてきたエパフロデトを、パウロは喜んでいる。そして彼の誠実な心と行為を、果たせなかった分まで受け止めて感謝する。主にある素晴らしい交わりの姿がここにある。

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