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2011/03/15

3月13日メッセージ「目標を目指して一心に走る」

私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。       ピリピ書3章12~14節(12~21)

クリスチャンを絵にするとすれば、どんな姿に描くだろうか。ひたすら祈る人、聖書を開いて読みふける姿、あるいは病める人に深い同情をもって介護する婦人、幼子たちに優しい眼差しを注いで慈しむ教師・・・。今日の聖書箇所で、パウロはクリスチャンを全力疾走するランナーとして描いている。

《栄冠を得るために》 

神は、キリストを通して、「私たちを上に召してくださる」という栄冠を用意しておられるのだ、とパウロは言う(14)。クリスチャンは走り終えゴールに到達している走者ではない。キリストを信じて罪許され、義と認められて神の子ともされ、天国の確かな約束をいただいてもいる。だがまた「私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えて」ようというキリストに迎えていただく立場にいる(21)。この神の栄冠が自分を待っていることを知るクリスチャンは、主が待ちかねておられる故郷を目指して走り出さざるを得ない(20)。大人のクリスチャンは、キリストに捕らえられて栄冠に心惹かれ、そこに向かおうとする(12~15)。

《目標を目指して》 

その栄冠は主キリストによって与えられる。救い主が私たちを迎えてくださる素晴らしい瞬間を期待し、ゴールを目指し、私たちはひたすら走る。ランナーたる者が走路から外れて走ることはしないし、走り出してから目標が定まらないようなふらついた走り方をしない(コリント前9:24)。心弱く怠惰で迷いやすい私たちを、キリストはゴールに向かうように捕まえておられる。聖書は走路の道しるべまた励ましとなり(詩119:105、19:7~8)、内住の聖霊が何を選択すべきかを教えてくれる(ヨハネ16:13)。世の欲に惑わされ、目標を見失ってはならない。だから自分がどこに向かうべきなのかを忘れ、走ることを放棄したり、ふらついた二心であってはならない(18、ヤコブ1:6~8、ルカ9:62)。

《一心に走る》 

ゴールを目指す以上は、半端であってはならない。早い人を羨み遅い自分を諦めず、それぞれの持てる力を出し尽くすような、真剣な走り方が求められる(16)。全力疾走の仕方を、パウロは「私をみならう者になって」走るように勧める(17)。いったい何を信じているのか、何に向かって歩んでいるのか、外から不明だけでなく、本人もわからない。そんな信仰姿勢であってはならない。「ただ、この一事に励んでいる・・・うしろのものを忘れ、ひたむきに前に向かって進み・・・目標を目指して一心に走っているのです」(13、14)。あれもこれもと心があちこちに飛び、目移りし、あれこれ周囲の人を羨んで、心が定まらず、は卒業しよう。信仰の成人として「ただこの一事に励んでいます」と言えるように(13)。

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