« 愛と心理 | トップページ | 3月20日ニュース »

2011/03/22

3月20日メッセージ「目標を目指して一心に走る」

そういうわけですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。どうか、 このように主にあってしっかりと立ってください。私の愛する人たち。 ピリピ書4章1~9節(1)

《私の喜び、冠よ》 

パウロは、主キリストにお会い出来る日に備えて、一心に走った。そして私たちにも、「私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。」(3:17)と勧める。なぜならキリストは、私たちをご自分と同じ栄光の姿に変えてくださるからだ。このキリストを目指して走る姿勢こそ、何よりも大事なことであるから、最後まで「主にあってしっかり立ってください」と、愛するピリピ教会にパウロは勧める。使徒の教会への思いは、「私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ・・・私の愛する人たち」という何と情愛に満ちた表現であることか。真実の信仰は、真理・正義であることとともに、豊かな深い愛を備えているものだ。パウロにとってピリピ教会は、患難に満ちた伝道者生活を補ってあまりある喜びであり、栄冠のようなものであった。現代の伝道者と教会の関係もそうありたい。

《主にあって一致を》 

初代教会にあって、女性の働きは大きかった。ピリピ教会もルデアという女性商人を中心に始まっている。有能な働き人であって熱心であるからこそ、衝突も生まれやすい。互いに教会のため主イエスのためにと、犠牲を惜しまずに奉仕する中で、自分の奉仕は当然みなが認めてくれるものと互いに思い込み勝ちだ。そこにいさかいが生まれる。それは決して小さなことではなく、個人の問題でもない。争いは、教会のいのちを破壊する。主にあっての奉仕に、どうして争いが生じ得ようか。名を上げて二人に懇願する(2:2、エペソ4:3)。彼女たちの働きを、パウロは決して否定せず、批判もしない。むしろ「いのちの書に名の記されているクレメンス」等と共に、福音宣教に骨身を惜しまずに労している人々と紹介して励ましている(3)。

《主にあって喜べ》 

パウロはここでも「主にあって」と記す。クリスチャンなら当然に「常にキリストに従い、キリストにある」はずであるが、私たちはしばしば「キリストにある」ことからずれて、勝手に自分の好みの道を進もうと迷い出る。キリストにあって神に祈り、神に信頼する生活は「人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれ」るので、思い煩いからは解放され、平安と喜びに包まれると、使徒は勧める(6,7)。」喜びは教会の大きな特徴である。Ⅱコリント13:11参照。

|

« 愛と心理 | トップページ | 3月20日ニュース »

礼拝説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543924/51188822

この記事へのトラックバック一覧です: 3月20日メッセージ「目標を目指して一心に走る」:

« 愛と心理 | トップページ | 3月20日ニュース »