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2011/03/29

3月27日メッセージ「収支を超える霊的祝福」

私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。       ピリピ書4章14~17節(10~120)

ピリピ教会の支援とそれを受けた伝道者パウロの記事から、初代教会の福音宣教の広がりを支えた麗しい援助のあり方を教えられる。

《心配してくれる心》 

まずパウロへの心遣い、彼を心配する心がピリピ教会に「今ついによみがえって来たこと」を、彼は「非常に(「思いっきり」)喜んでい」る(10)。ピリピ教会からの贈物が何であったのかはわからないが、パウロは、自分の必要の大きさから贈物を計らず、愛をもって贈ってくれた人々の貧しさから計っている。ピリピ教会の支援は、同じ主にある兄弟として「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者と共に泣く」との勧めの実践であり(ロマ12:15)。次に、宣教師パウロを尊敬し、その働きを祈り支援しようという心の現われであった(1:5、ガラテヤ6:6)。愛する教会からの支援中断に、パウロは深い寂しさを覚えたのだろう。だがパウロは彼らの中断を責めず、「あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです」と彼らに弁明の言葉を与え感謝する。贈物そのものには一言も触れていないが、困難を分け合おうとする伝道者への配慮に、深く感謝している(14~16、18)。

《貧しさの中から支援》 

パウロは以前、大飢饉にあえぐユダヤ地方の教会を支援するための募金を行った。その際のピリピ教会も含まれるマケドニヤの諸教会を「苦しみのゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです」(同8:1~2)と紹介した。初代教会は無力な貧しい人々によって担われた。12弟子は「地の民・土民」と蔑称された「無学なただの人」(使徒4:13口語訳)であり、物乞いに施す金も持ち合わせず「金銀は私にはない」と言わざるを得なかった。だが貧しさ無力さを、初代教会は神の祝福を仰ぐ契機と捕らえて退かなかった。だから、キリストの「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる」との言葉を実際に体験し、パウロは「私が弱いときにこそ、私は強い」(Ⅱコリント12:9~10)と告白出来たのである。大胆な犠牲を払っての援助は、余裕があり豊かだから出来たのではない。

《収支を償う霊的祝福》 

伝道者パウロが喜んだのは、贈物が高価で有用だったのでもなく、心遣いを受ける伝道者としての満足感からでもない。彼は「私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできる」と信じ、「私の神はあなたがたの必要をすべて満たしてくださる」と言えた(19)。だから「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」と断言出来るような自由性を持っていた(12、13)。彼の喜びは、ピリピ教会からのパウロへの贈物は、彼を派遣しておられる神への供え物に他ならない(18)。その犠牲は、貧しいピリピ教会の出費を補って余りある収入、霊的祝福となって教会に返る。そうパウロは理解し、その恵みに浴する祝福を受けることになることを喜ぶ(17)。どんな贈物でも、贈物をした人を、以前に増して貧しくすることはない。

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