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2011/04/11

4月10日メッセージ「私の願いではなく、あなたのみこころのままに」

いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と言われた。そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」   ルカ22:40~42(39~46)

 今回の東日本の大震災大津波、そして原発事故は、私たちに未曾有の災害と不安をもたらし、人知を超える自然の猛威を強烈に印象付けた。この背後に、これらをあえてお許しになった神がおられ、その御旨を思い計ることを忘れてはならない。私たちキリスト者は、神の力と憐れみを信じている。犠牲を無にしてはならない。悔い改めるべきことを悔い改め、神に回復を願おう。

 主キリストの喜びの復活の前に十字架の受難があった。神は苦悩を通して回復や新生、復活の希望をお与えになる。昔ユダヤの国がバビロンによって滅ぼされ異国の地に移されたが、それが民に信仰復興をもたらした。「もうダメだ、これでオシマイだ」というところから、神がことを起こされる。神はいかなる時も「希望の神」だ(ロマ15:13)。24日に復活の祝いの日(イースター)の前に、今日は受難のひとつ、ゲッセマネでの苦悶の祈りから学ぶ。

 イエスは「いつもの場所」で祈ろうとゲッセマネの園に帰られた。そこがその頃の、イエスの祈り場であった。問題に遭遇した時、祈りの習慣を持たないキリスト者は、祈りを忘れ、人間的な解決を求めて右往左往し、信仰の無さを暴露する。祈りは、キリスト者に不可欠な「食物」であり、欠かせない大事な「呼吸」である(Ⅰテサロニケ5:17)。人は、祈りによって目を覚まし、祈り続けて神の臨在をいつも自覚する。いつもの所でいつもの時に、祈る習慣を各自の生活の中に確保しよう。

 イエスは「苦しみもだえ」切に祈られた。私たちに「恐れるな」と励ます恐怖への勝利者、平安の保証人、また慰めを与える方が、今「苦しみもだえ・・・汗が地のしずくのように地に落ちた」姿をさらしている。しかもイエスは、その姿を隠すどころか敢えてその様子の目撃者にと、ペテロやヤコブ、ヨハネを連れてきていた。このイエスの姿に私たちは幻滅しない。むしろ、人として苦悩を味合われたイエスに、深い慰めを覚える(ヘブル4:14~5:2)。また私たちの罪のために、弟子たちにも誰にも理解されず、彼がただひとり、死ぬほど苦しまれたことに、私たちは感謝する他はない(イザヤ53:4、5)。

 イエスは「みこころならば」、この杯を取りのけてくださいと祈る。人としてのイエスは、十字架刑の必要性について、納得の行く理解をしておられなかったと思われる。罪なき神の子が、なぜ罪人として苦痛と辱めの刑罰を受けなければならないのか。この理不尽としか思えない扱いを受けとることは容易ではない。そこで神は御使いを派遣しイエスを支えた。苦しみに耐え誘惑に打ち勝ったイエスは、神の心がなぞだとしても神の心は愛だと確信し、「わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままをなさってください」とご自分のいのちを神に委ねるに至った(マルコ14:36)。ここに十字架の路が開かれた。

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