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2011/04/05

4月3日メッセージ「私にあるものを上げよう」

男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。 使徒の働き3:5~8

伝道は、難しいと言えば難しい。理屈っぽい人を説得することは容易ではない。反発する人に聞いてもらうことも困難だ。それに自分の信仰や考え方をはっきりさせてしまうと、今後の付き合いに支障が出るのではと案じられる。いろんな事を聞かれても説明できる知識もない。自分のような人間が話したのでは、相手にキリスト教への信頼を失わせるのではと気後れもする。あれこれ考えると、「伝道」と聞くだけで、「自分にはとても・・」との思いになる。

だがパウロは、献金を勧めるに「ですから、今、それをし遂げなさい。喜んでしようと思ったのですから、持っている物で、それをし遂げることができるはずです」と言い、「もし熱意があるならば、持たない物によってではなく、持っている程度に応じて、それは受納されるのです」と続ける(Ⅱコリント8:11~12)。つまり、奉仕は今各自が、神から与えられている能力、知識、立場、環境等の、程度に応じて奉げるもので、出来ることから始めることが大事だと勧めている。

イエスを信じたばかりのアンデレは、兄シモン(ペテロ)に会うと「私たちはメシヤに会った」と告げ、「彼はシモンをイエスのもとに連れて来た」(ヨハネ1:41~42)。そしてペテロはキリスト者としての歩みを開始することになる。小さな奉仕かも知れない。だが偉大な人物の救いに貢献した。
確かに「金銀は私にない」。問題解決の知恵も権力も、人脈もなく能力もない。「自分の力とか信仰深さによって彼を歩かせたかのように」見られるのも、見当違いだ。金銀がなくては会堂一つ建てられないと言われよう。でも、ペテロと同様、私たちには「私にあるもの」がある。イエス・キリストが共におられる。この方には人を立ち上がらせる力があり、どのような境遇からも引き上げることが出来、死んだ人さえも復活させることが可能だ。この方の力を経験し、慰めや知恵を味わい、平安や喜びを知って、他の人々に紹介しよう。

日本の今、未曾有の災害に遭遇し、人の力を超えるような課題を一挙に抱え込まざるを得ない状況に置かれている。私たちの中には解決の知恵も力もない。だが主イエスは、全能の神からすでに私たちのところに遣わされ、私たちと共におられる。この方に祈ろう。この方に聞き従おう。そしてこの方を宣べ伝えよう。ここに救いがあることを知っているのだから。そして「おどり上がってまっすぐに立ち、歩き出す」様を見て、神を賛美しよう。

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