« 4月24日ニュース | トップページ | 5月1日ニュース »

2011/05/17

5月1日メッセージ「心が燃やされる」

それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らに見えなくなった。そこで、ふたりは話し合った。「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」              ルカ福音書24:31、32(13~35)


キリストは、当時の支配者たちの嫉妬と憎しみを買い、十字架上で殺された。その三日目の午後、弟子ふたりがエルサレムから下って西に旅していた。

《希望を無くして》

弟子ふたりは、イエスを「この方は、神とすべての民の前で、行いにもことばにも力のある預言者」と信じ、「この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけてい」た(19、21)。「それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけ」て殺してしまった(20)。イエスは何の抵抗もなさらず、権力者たちの思惑通りに一方的に処刑された。今朝早く墓に出かけた婦人たちが、イエスの遺体が墓から消え、御使いが彼は生きておられると告げた、と話していることを彼らは聞いていた。確かに主は、「三日目によみがえる」と予告されたが、弟子たちはそれを真に受けてはいなかった。彼をメシヤではないかと期待した自分たちは間違っていたと思い込み、ふたりは敗北感に打ちのめされて、沈み行く陽を追い、西へ下る道を、「暗い顔つき」で辿っていた(17)。

《イエスご自身が近づき》

この不信仰と混乱と失意の弟子たちを、復活の主は放置なさらない(ヨハネ10:28、29)。復活を告げられ、一応検討している(14、15)。ても、自分たちの常識や小さな知識でのアレコレの論議は、神のなさった事実を信じることには至らない。なおも絶望の中に留まって夕暮れの下り道を辿る。こんな頑なで不信の弟子たちに、イエスの側から「近づいて、彼らとともに道を歩」き、「その話は何のことですか」と話しかける(15~17)。主イエスは、弟子たちが「預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人」であること承知の上で、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明か」された。必要なら一緒に食卓を囲み泊まり込みで、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望」み、救いに導こうと関わってくださる(25~27、Ⅰテモテ2:4)。

《心を燃やされて》

ふたりがイエスの手から裂かれたパンを受け取った時、ふたりの目が開かれ、同行者がイエスだとわかった(31)。信仰は神がお与えになってはじめて持つことが可能となる。神が人を捕らえその目を開く。そこで人は神を知り信じるに至る。聖霊の助けがなくては、霊的に盲目な私たちが、神の存在とその救済の御業を理解することが出来ない(ヨハネ15:16、Ⅰコリント2:14、12:3)。だが主は、神の生けることば(ヨハネ1:1、4)であり、人にいのちと和解の喜びをもたらし、その心を燃やし活力を与える。ふたりはもはやエマオに留まれない。夜の上り坂をエルサレムにとって返し、喜びのメッセージを知らせざるを得なかった(32~35)。
復活の主は気落ちした者を放置されない。主の晩餐(礼拝)に臨在される主は、み言葉を通してご自分を証し、信じる者に整え、回復なさる。

|

« 4月24日ニュース | トップページ | 5月1日ニュース »

礼拝説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543924/51693588

この記事へのトラックバック一覧です: 5月1日メッセージ「心が燃やされる」:

« 4月24日ニュース | トップページ | 5月1日ニュース »