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2011/05/17

5月8日メッセージ「教会の力」

しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。               Ⅰコリント1:27~29(26~31)

私たちの教会は、1967年5月14日に最初の日曜礼拝をもって開始された。それから44年、教会として独立して39年目を迎える。私たちの教会は牧師の交代、新会堂建設、開拓伝道という大きな課題に直面していて、また今年からファミリィ活動という新分野に取り組もうとしている。つくづくと無力さや人材不足を痛感する。では教会は、多くのものを持つことによって前進して来たのだろうか、信仰とは人の目に好機と思われる時に恵まれてはじめて力を発揮するものなのだろうか。今朝の聖書は別の視点を示している。

《教会は無力な者が多くて当然》

教会は人の力には依存しているのではない。これはクリスチャンである私たちにとって自明のことだ。だが本当に自明のことと信じているのか、私たちは問われる。何かをしようとすると、私たちは先ず教会を見回し、協力してくれそうな有能な人・強い人が何人いるかを確認し、その可能性を検討する。いなければ、「教会は無力だ。何も出来はしない」と考えてしまう。だが神は、教会に「愚かな者、この世の取るに足らない者、見下されている者、無に等しい者」をあえて集められた。教会は、人目には頼りにならない者が多くいて当然だ、聖書は告げる。それは人の知恵や強さはあえてはずかしめ、神の御前でだれをも誇らせないためであり、神に頼ろうとする姿勢を涵養するためだ(イザヤ2:22、Ⅱコリント12:9、10)。旧約イスラエルの選びにも同様のことが語られている(申命記7:6、7)。

《教会の力はキリストにある》

普通の人が力とするものを、教会が相変わらず力としようとしてはならない。教会の力の有無は、社会的地位のある人、経済的余裕のある人、能力のある人が教会にいるから、多数の会員のいる教会だから等によって測られるものではない。神が、私たちの力とするように示されている神からの特権と神の約束の力に目を向けよう。知名人や有力者が仲間であることを誇ったり、名のある伝道者を担げば何かが出来るのではない。それは憐れむべき錯覚に過ぎない。私たちが誇るべきは、私たちの教会の頭キリストである。それだけで十分であることを、改めて確認しよう。キリストによって、私たちは愛され、豊かな救いと恵みの中に守られている(エペソ2:3~6、コロサイ2:9、10)。教会を左右する一切の権威権力の支配者はキリストであることは何という幸いなことか。エペソ1:20~23。神は私たち教会をキリストの手に託して下さった。「キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました」(30)。この特権を放棄してはならない。キリストを信じる度合い従って、教会は力を得る。人ではない、キリストに信頼して歩もう(30)。

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