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2011/06/14

6月12日メッセージ「神が人となられたのは」

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。                 ヨハネ1:14

30年程前、教会から離れて住んでいた牧師の家に、80歳近い姉妹が見舞いに訪ねて来られた。彼女は経済的な理由で徒歩6時間、道を尋ねながら、不自由な足での来訪であった。私たちは驚きと感動を禁じえなかった。神の地上への来訪は人の犠牲の比ではない。「人となって、私たちの間に住まわれた」事件は、神の子が神のままとしてではなく、私たちと同じ人間となっての来訪で、その犠牲は私たちの想像を超える。この御子の受肉は何のためであったのか。

 

御子の受肉は私たちのあがないのため 

「しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。これは律法の下にある者を贖い出すためで」ある(ガラテヤ4:4~5)。御子は天から遣わされ、同時に私たちと同じく「女から生れ」「律法の下にある者」となられた。それは律法の下にあって断罪される私たちを購い出すためで、私たちの罪を負いその罰を代わって受け、私たちを罪の奴隷状態から開放するためだった(コロサイ1:22)。ここに神の具体的な愛の姿を見る(Ⅰヨハネ4:9)。そして、この御子の贖いに与かった者もまた、御子に倣って人々に仕えることになる(Ⅰコリント9:19~22)。

 

御子の受肉は私たちの完成のため
 

御子が人となられたのは、「その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるため・・・もはや奴隷ではなく子です。すなわち神のよる相続人」にするためでもある(ガラテヤ4:5、7)。最終的には、私たちが、神の御子イエスと同じかたちに変えられることを意味する。キリストは「私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださる」(ピリピ3:21)。「最後のアダム(御子)は、生かす御霊となり・・・私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちを持つ」に至る(Ⅰコリント15:45~49)。私たちは、やがて神の国に召され「主と同じかたちに姿を変えられ」(Ⅱコリント3:17、ロマ8:29)、神の子としての人間の完成を見る。何と光栄なことか。

 

御子の受肉は私たちの前進のため
 

御子の受肉は、私たちを贖い、御子と同じかたちを持つ完成に至らせ、その過程の道をも備える(ヨハネ14:6)。私たちは今、キリストのからだである教会に連なる(エペソ1:23)。教会にあって礼拝し、交わりと聖書の学びや訓練を受け、助け合って天国を目指す。御子の再臨まで、主の晩餐を通して御子のからだに与かり続ける(Ⅰコリント11:24~26)。キリストのからだの形成は、各自の信仰の成長でもある(エペソ4:12~16)。私たちは御子の受肉によって、神とアバ父と呼び、その助けの中に歩む(ガラテヤ4:6)。そして、御子イエスは、今もなお、私たちと同じく人としての性質をお持ちであり、私たちの愚かさや弱さにも、深く同情できる方として、私たちを助け導いておられる(ヘブル4:14~16)。

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