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2011/07/18

7月17日メッセージ「クリスチャンの生きる姿勢」

目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。 いっさいのことを愛をもって行ないなさい。 Ⅰコリント16:13、14

 クリスチャンが信仰者として生きるために、物事に対する聖書的理解と、そこに関わるクリスチャンの姿勢、品性が必要である。ある神学者の有名な祈り、「主よ、私が変えることの出来ないものについては、それを受け入れる平静さを与えてください。変えることの出来るものには、それを変える勇気を、そして変えることが出来るものと出来ないものとの区別を知る知恵を与えてください」は、クリスチャンの生きる姿勢を要約したものと言えよう。

《主に信頼する平静》 

自分の力で対処できる事柄、変えることが出来る事なら、誰でも平静でいられる。だが私たちはしばしば変えることの出来ないことに遭遇する。人間関係、自分の性格や能力、老いや病い、事故等に直面し、平常心を失わないでいることは難しい。鈍感さ、頑固さ、ふてぶてしさに由来する落ち着きは論外で、問題を理解し真摯に対応し、なお平静さを保つことだ。主イエスは「恐れないで、ただ信じていなさい」と、ひとり娘の死に衝撃を受けている父を励まされた(マルコ5:36)。預言者も、祖国の危機に右往左往する民に、「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」と、平静を勧めた(イザヤ30:15)。恐れる事態も、それらを支配なさる神に委ねることが、私たちに落ち着きを与える。神を真に恐れる時、物事への恐れは消滅する(マタイ10:28)。幼児が母親の下で安心しきって無邪気でいる。私たちも神の子、神の手に委ねて安んじる、喜ばしい明るい平静さを常に持ちたいものだ。

《主の賜物としての勇気》 

変えることの出来ないものを引き受けるにも勇気を必要とする。同時に変えた方が良い場合は、それを変えようと着手する勇気も大事だ。石橋を叩いて渡るなら良いが、叩いても渡らない慎重居士はいただけない。変えるべき時に立ち上がり、変更に着手するには勇気を要する。神にあっての将来への希望と信頼を含む、積極的な姿勢の勇気が欲しい。真の勇気にはやさしさを含む。聖書は、勇気を神の支えがあっての、神からの賜物として登場する。モーセ、ヨシュア、ギデオン、ダビデなど信仰の偉大な勇者たちは、神の働きに召される際、みな躊躇しており、本来臆病であったように見える(出エ3:11、ヨシュア1:6、士師6:15等)。信仰の勇気は、自分の弱さを自覚し、神の助け支えられての勇気である。「主にあって、その大能の力によって強くありなさい」エペソ6:10。参照Ⅱコリント4:16~18。

《己の限界を知る知恵》 

「変えることが出来るものと出来ないものとの区別を知る知恵」とある「知恵」は、信仰的な洞察力と言えよう。今日、日進月歩の科学技術などの知識をはじめ、多くの情報が溢れかえっている。聖書の知恵は、老人の人生経験と結びついて、ユダヤ社会では老人が重んじられ、最終的な助言を老人たちに求めた。老人の豊かな経験は、コンピュータ化の進む現代の即応を求める事態に対応できないものとして、棚上げされている。知識は求められても、知恵は老人と同様に顧みられない状況にある。だが人生は、科学や知識だけでは対応できず、深い人生の次元での洞察を必要とする。蛇の狡知ではない、人知で理解できない、神からの知恵を必要とする(詩篇90:12)。それは己の限界をわきまえ、年長者に謙虚に聞き、神に祈るところに与えられるものだ(箴言11:2)。神の御旨を聞き分ける心を祈ろう(Ⅰ列王3:9)。

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