« 7月17日ニュース | トップページ | 7月24日ニュース »

2011/07/27

7月24日メッセージ「聖書信仰に生きる」

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。        ロマ書12:1~2

クリスチャンは、信仰のない人々とは価値観を異にし、神の助けを信じそのみ旨をわきまえて物事を考え行動する立場にある。だが私たちは、そう生きているだろうか。改めて、神信仰に生きる基本姿勢を再確認し、その歩みを進めよう。

《信仰は神の言葉から始まる》 

クリスチャンの生活は神の言葉を指針とする。神の言葉を聞くことから始る。アブラハムの信仰の生涯は、神からの言葉で開始された(創世12:1、4)。預言者サムエルも、主の声に「はい。ここにおります。お話ください」と応じてその人生を始めた(Ⅰサムエル3:10)。モーセやペテロ、パウロなど、みな神からの呼びかけに応じて偉大な信仰生活に踏み入っている。天地は神の言葉によって創造され、その活動を開始した。そのように、神の偉大な業は、神のご意志の表れである言葉で始められる(アモス3:7)。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」(ロマ10:17)。私たちの信仰生活を、神の言葉を伺い聞くこと以外で始めてはならない。

《信仰は神の言葉に従う》 

私たちは、聖書を神の言葉と信じている。五つのパンと二匹の小魚で一万人もの人々を満腹させる話も、死んだラザロを生き返らせた記事も、みな歴史的事実だと信じている。では、その神が今、私を導き支えてくださる方として信じ、神の言葉が招く生活に飛び込んでいると言えるだろうか。スイスで宣教師として活動したシェーファーは、神などいないと思い込んでいる若者たちに証しするため、宣教団体からの支援を断わり、祈りに答えて神が必要を満たしてくださることを身をもって示した。それに感嘆するように、案外と私たちは、神を信じているようでありながら、実際は自分の考え方に従って生きている(参照ルカ14:16~20)。聖書に自分の生活を委ねることが出来ないなら、信じていると言えない。従わないことは聞かないことを意味する。

《信仰は神の言葉を証しする》 

クリスチャン生活の目標は、神の素晴らしさ、その救い、恵み、力、真実などを、身をもって証しすることである。自分の能力や人格の立派さを示すのではない、神の働きを示すことにある。同じ種を蒔いても、土壌や手入れなどで、収穫はまったく異なる。神の言葉と神の手に委ねた生活がいかなるものかを示すため、私たちは立てられている(Ⅰコリント10:31)。神は、ご自分の言葉を信じ期待して従う者を用いられる。神の約束の言葉を信じて従い、生ける神の祝福を味わって喜び、証しして行こう。聖書信仰に、身をもって生きよう。教会としても、個人としても。

|

« 7月17日ニュース | トップページ | 7月24日ニュース »

礼拝説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543924/52320716

この記事へのトラックバック一覧です: 7月24日メッセージ「聖書信仰に生きる」:

« 7月17日ニュース | トップページ | 7月24日ニュース »