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2011/07/04

7月3日メッセージ「私はわかっている」

イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです」 ヨハネ9:41

 これは、イエス・キリストが物乞いをしていた生まれつきの盲人を癒された時、当時の宗教上の指導者らに言われたことばである。「私は見える、わかっている、知っている」と自己満足している点に、君の罪が残っているのだと。

真実が見えなくなる 

往々にして専門家は、素人に教えようとは思うが、教わろうとは思わない。尊敬する専門家からなら聞こうとするが、素人から自分の意見が否定されるようなことになると、相手の意見を受け入れることが難しい。当時の宗教上の指導者であった、祭司、律法学者、パリサイ人たちは、彼らが大事としていた宗教上の決まりごとを無視するようなイエスの言動に、彼らのプライドが傷つけられ怒っていた。そしてこの癒しが、一切の労働を禁じる安息日になされたので、彼らは、神の定めた安息日規定を破る者が神から遣わされる者であるはずがない、と決めつけた。癒しもごまかしか何かと思い込み、無知な物乞いの盲人だった男の言い分に聞く耳を貸さず、都合の悪い真実を追放してしまった(34)。自信は時として真実を見る目を曇らせる。人に教えを請う謙虚な心を欠いては、新たな世界は見えてこない。無知を自覚し隣人に教えを願う。「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」箴言18:12。

交わりを阻害する 

「自分は知っている」との指導者たちの意識は、教えていた無知な民衆から、教えてもらうことなど何も無いと思い込ませていた。だがそうだろうか。神は被造物全体を通して、私たちに教えておられる。空の鳥、野のゆりから学べとイエスは言われた(マタイ6:26~28)。ましてや共に暮らす隣人や、同じ信仰に生きる教会の仲間から学ぶことは多い。「この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です」と、子どもから素直な謙遜な心を学ぶようにとも言われた(マタイ18:3~5)。自分が、盲目で無知であると自覚している謙遜な心は、相手の心や気持ちを和ませ、安心と自信を提供する。無知を自覚しているからこそ、相手の意見に自分の意見をすぐにかぶせるようなことをしない。相手が信頼し、秘められた思いを教えてもらう時、自分もまた隠していた事を語り出す。そうした相互のやり取りを通して、私たちは新たな発見と交わりの深まりを経験する。私たちは自分についても、相手についても、案外と知るべきことを知らないでいるものだ。わかっているとの思い込みは、他を拒絶する高ぶりでもある。それは争いを生む。「高ぶりただ争いを生じ、知恵は勧告を聞く者とともにある」箴言13:10。「聞く耳と、見る目とは、二つとも主が造られたもの」同20:12。今なお与えられている耳と目を、ふさいではならない。

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