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2011/09/20

9月18日メッセージ「希望に生きる」

そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。                     ルカ2:25(22~38)

《老いは神からの賜物》

現代人は老いを好ましいとは評価しない。私たちは、どれだけ生産し、業績を上げ、いくら所有し、どれほどの影響力を行使できるか、などで評価される社会に暮らしている。老人になることは以上の社会から引退することで、評価の対象にもならない立場に置かれることを意味する。若い人たちは、老人に余計な負担をかけないようにと、口論を避け、心配事を聞かせず、一人前の大人として扱わず、老人を一種の牢獄暮らしに追いやる。老人は、長年連れ添った相手や友人などを次々と失い、仲間との行き来も出来ず、人との関係が急速に縮む。老いた自分を大事な存在と認めてくれる人もないと、本人も自分を価値ある者と認めることが難しい。「子どもの重荷にはなりたくない」は、親の悲哀を語っている。
しかし聖書は、「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである」(出エジプト20:12)と告げている。神の祝福は、年老いた親を尊敬し愛するところにある。老人として人を生かして責任を持っておられるのは神であることを銘記しよう。イザヤ46:4参照。

《老人は希望に生きる》

現代人は、欲望を満足させることこそが価値ある人生だと勘違いしている。欲望は外にあるもの、家、自動車、社会的地位、給料などの具体的なものを獲得しようとする。だがそれは仕事を引退し歳を重ねた老人には不可能だ。老人は、生産性の有無をもって価値の有る無しを判定する現代社会では、厄介なお荷物と評価されがちだ。老人自身も自分を肯定的に見ることが困難だ。
シメオンを、「イスラエルの慰められることを待ち望んでいた」(25節)と紹介されている。彼には悲壮感も、暗さもない。確かに慰めを待望していたので、イスラエルの現状に問題がないわけではない。イエスを見たが、救いが完成しているわけでもない。しかし彼のことばには、喜びと感謝と、穏やかさ、平和の匂いがする。シメオンの平和な姿勢は、聖霊のお導きを受け、約束の言葉をもらい、希望に生きているからだ。希望は心に中に抱き続けるもので、時間を限定せず、はるかな広がりのある、本質的なものだ。希望は人を成長させる(詩篇92:12~15)。そして私たちも、キリストにある希望に生かされている(ロマ書5:1~5)。やがて天国に招かれ、神にふさわしく変えてもらう大いなる希望に生かされている。

《老人は希望を証しする》

シメオンの人生はイエスを証ししたことだけが紹介されている。彼は、幼子イエスを腕に抱き、神への感謝と賛美した。ヨセフとマリヤを祝福し予言の言葉を告げた。84歳の女預言者アンナも、幼子を喜び、イスラエルを贖うメシヤだと、最も大事なことを人々に教えた。
高齢者には人生の深みを味わった者のみがもつ知恵がある。問題はそれを汲み取る力を、私たちがなくしてしまっていることだ。詩篇32:7に「長老たちに問え。彼らはあなたに話してくれよう。」とある。神は老人に知恵を託された。私たちは、そこから学ぶ、教えていただくという、敬意と謙虚さを主に求めよう。

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