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2011/09/28

9月25日メッセージ「ネヘミヤのエルサレム再建の開始」

そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう。」と言って、この良い仕事に着手した。          ネヘミヤ2:18(1~20)

《ネヘミヤは再建を重荷とした》

エルサレムが廃墟のままと聞いたネヘミヤは、衝撃を受けて泣いた(1:3、4)。彼はペルシャ帝国の高官で、辺境の都市エルサレムをはるかに超える規模の都市を建設し再建する大事業に、何度も携わったことだろう。だがエルサレムへの関心は、彼の人間的な民族愛などからではない。神の民が貧窮し、神の都が荒廃したままでは、神の御名が侮られ続ける。神の名誉、栄光に関わることだ。彼の心は穏やかでいられない。神に関わることよりも、仕事や趣味、健康や家族を大事だと思う人の心は、大事だと思うほうに向く。ネヘミヤは、王の側近として大帝国を動かすことよりも、神の栄誉のために、地方都市エルサレムの城壁再建、同胞の救済が重大事であった。エルサレムの再建を重荷として与えられた。彼は、このために身をささげることを切望した(参照ヨハネ2:17)。
だが、若いモーセが虐待されている同胞を見て「思い立ち」行動したように(使徒7:23新共同訳)、ネヘミヤは激情に駆られて動くことはなかった。4ヶ月、祖国再建を己の重荷として担い、祈りつつ時を待った。ペルシャでは、王命は絶対であった。王宮に上がるのも困難だが、退くはなお難しい。王の意向に逆らって、いのちの保証はない。また王の宴席で憂わしい態度も禁物で、機嫌を損ねて死を招きかねない。しかし、神の名が侮られていることへの重荷は、ネヘミヤの立ち居振る舞いや顔の表情にも及んだ。そして時が訪れた(伝道の書3:1、11)。

《ネヘミヤは再建に立ち上がった》

ネヘミヤは、神の時を待つ人であり、決断の人でもあった。時は向こうから来た。王の側から、彼の悲しみの理由を聞いてきた。彼は恐れつつもはっきりと自分の願望を伝えた。信仰は、待つ勇気と立つ決断を要する。どんなに都合が悪くとも、「すぐに網を捨てて従った」イエスの弟子たちのように、み旨が示されたなら、危険であっても従うことだ(マタイ4:20)。ネヘミヤは心中で「天の神に祈って」、王に願った(4)。エルサレム行きの許可だけでなく、彼はさらにエルサレム再建の重荷解決に必要と思われる行政上の便益の数々を、大胆に王に願った。それは危険極まりないことであったが、神への奉仕を完成させるために必要な事柄であった。そしてネヘミヤは「神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた」(8)という結果を得た。

《ネヘミヤは知恵深く準備した》

憧れの神の都に到着し、長く願望い続けて来た再建工事ではあるが、ネヘミヤの最初の仕事は町の見学でもなければ人々との応対でもない。彼が真っ先にしたことは、三日間の祈りの時を持つことであった。また彼は人の心を知る人であり、人を動かす政治家でもあった。長い異教の宮中での経験が生きて来た。人に無駄な経験はない。ただ人が貴重な体験を無駄にするだけだ。再建を必要としている現場と置かれている政治的環境を、ネヘミヤはひそかな視察と沈黙の中で把握した(11~16)。そして民の指導者たちに「さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう」と呼びかけた(17)。この工事に神の恵みの御手があり、ペルシャ王の認可もあることを告げて励ました。こうして、再建事業が開始された。周囲の妨害など気にせずに(20)。

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