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2011/09/06

9月4日メッセージ「ネヘミヤの嘆きと神への訴え」

私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に祈って、言った。 ネヘミヤ1:4(1~11)

BC445年12月、ネヘミヤは、祖国イスラエルから来た親戚の口から、祖国とその民の惨めな状況を聞いて衝撃を受けた。当時、彼はペルシャの王アルタシャスタ側近の献酌官として、冬の首都スサにいた。同胞と神の栄光のため、エルサレムの城壁再建に関わったネヘミヤの偉大な働きの開始から、今朝は学ぼう。

《嘆き》

それは先ず、神の民の現状を認識したことから始った。ネヘミヤは訪問者に、祖国の民と神の都の現状を尋ねた。それが関心事だった。神の人は、神のこと、己の霊性、教会、兄弟姉妹、また求道者のことに関心を持つ。彼は、同胞の民は貧窮し侮られていることと、エルサレムの都はバビロン軍の破壊跡を残したまま140余年も放置され、崩れた城壁と焼け焦げた城門の無残な姿のままだ、という報告を受けた。90年も前に捕囚から祖国に帰還した民が、今なお周囲の敵意から守る城壁も築けず、信仰の民の共同体が衰退し、神とその民が侮られているという。神の都の崩壊した城壁と焼け焦げた門は、神の救いを疑わせ、神の名誉を損なっている。ネヘミヤは打ちのめされ座り込んで泣いた。参照
私たちもまた、神の栄光の証人としてこの世に遣わされている。その証人としての私たちの日常の言葉と行動、あるいは思考や霊性に、破れたままの修復を必要とする城壁はないか、私たちは問われている。神の前に崩れているものはないか。私たちの教会の城壁は大丈夫か、礼拝や日曜学校あるいは交わりに、修復を必要とする問題点はないか。それを知って、嘆き重荷を覚えるところから、奉仕は始る。

《信仰》

ネヘミヤは後で見るように行動の人である。また王の近くにいる実力者でもある。だが、彼はすわって、数日間、喪に服し、断食して祈り始めた。献酌官という重大な職務の中で、この時間を確保することは容易なことではなかっただろう。だが彼は、同胞と神の名誉のため、時間を聖別して祈った。そして彼は、現在の難局を、神とその民の長い歴史の文脈に位置づけて祈った。自分をも神に頑なに反抗する民の一員として、その罪深さを告白した。そして神は、そのしもべイスラエルに与えた契約にある回復を訴えた。この箇所の「しもべ」とは、神の一方的な憐れみによって、神の恵みの契約関係に入れられている者との意味である。ネヘミヤは繰り返しこのことばを用いて神に嘆願した。第二は、神への信仰と祈りである。

《献身》

ネヘミヤの祈りの最初の具体的なことは、「この人(王)の前に、あわれみを受けさせてください」である。つまり祖国救援のために、その高官の地位を捨てて駆けつけられるようにという献身の祈りであった。彼は王の毒見役として、王の信頼厚い立場にあったが、そのような人間的関係を即座に神の業に転用しようとはしない。ペルシャ王の不興を恐れてではない。神がこのことについても、最良の時に、最良の方法で、道を開いてくださることが必要だと信じて4ケ月、祈りながら通常の職務に励んだ。第三は献身である。やがて最良の道が開かれる。

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