« 今朝の聖句 : 私の中にある世との戦い | トップページ | 11月20日ニュース »

2011/11/22

11月20日メッセージ「内部からの試練に対して」

私の神。どうか私がこの民のためにしたすべてのことを覚えて、私をいつくしんでください。              ネヘミヤ5:19(1~19)

《神の教会か民の生活か》 

イエスは「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)と言われた。何を差し置いてでも、先ずは神を第一とする。これが私たち信仰者の原則だ。しかし、中南米の都市などで見られる威風堂々とした教会堂と、その背景の山の斜面にひしめく小さく粗末な何百という小屋との対照に、違和感を覚える。教会堂の一部でも、水も出ないスラムの改善に差し出せないのか。聖書の神は倒れ掛かった小屋に住む人を動員して壮麗な会堂を建てよと命じるはずがないのでは、などと考える。ネヘミヤがこの章で直面した問題も同じ、神の町の城壁再建か、それとも潰れかかっている自分たちの暮らし再建を優先すべきか、であった。
城壁の補修工事が順調に進んでいる最中、貧しい中で精いっぱい工事に協力している者たちから生活の困窮の訴えが湧き上がった。家や畑を納税するために手放し、食糧を得るために子供を手放さざるを得ず、なおも借金を重ねて窮しており、神の業に関わってはおれない。まずは自分たちの暮らしの目途をつけることではないか。
否。やはり神第一である。預言者も、「この宮が廃墟になっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。」と、神を後回しにした民の窮状を伝えている(ハガイ1:4)。だからネヘミヤは工事を止めない。

《この世に倣うか神のみ旨に従うか》

しかし、彼はまずは祈りつつ「十分に考えたうえで」、解決の手を打つ。不満は、城壁工事に従事している貧しい者と金持ちとの間に生じた。城壁に亀裂を入れかねない問題だ。困っている者に金を貸すことが悪いのではない。利息や抵当をとるのも罪とは言えない。問題は、相手の弱みに乗じて儲けることであり、しかも相手が信仰の仲間、兄弟であり、今は緊急事態の大事な神の業、信仰の業を進めている最中だということにある。隣で作業している者の貧しさに付け込んで利を得ることが、神の民にふさわしいとは言えない。世間並みの利を付すことはこの世界では当然のことでも、神の前では是とされない。
ネヘミヤは負債の帳消し、借金のカタにとって畑や家、息子や娘を返却するように提案した。金が問題となる時、必ず起こる主張は「そんなことは出来ない。」だが、不思議なことに、彼の提案は「私たちは返します。何も要求しません。アーメン」と迎えられた。金持ちの譲歩、これは神の介入による奇跡だ。神が定められた7年ごとの安息年の実現である(申命記15:1~)。神のみ旨に従うところに道が開け、奇跡が起こる。喜びの一致を持って、工事は再開された。

《命じる前に模範を》 

金持ちたちの譲歩という奇跡の前に、ネヘミヤの模範があったことを銘記しよう。彼は、率先して当然の権利を放棄し、犠牲を払って神と人とに仕えていた。民への課税を止め、ユダヤ長官としての報酬を放棄した。「神を恐れてそのようなことをしなかった」(14)だけでない。工事の責任者たちの生活費を身銭を切って面倒を見ていた。彼も彼の一族も、立場を利用して儲けようと土地への投資などに手を出さず、従者たちも工事に参加していた。冒頭のネヘミヤの祈りは、彼と家族への祝福を願いではない。彼が願いは、彼の使命の城壁修復の完成である。ネヘミヤの仕える神の名誉が崇められることだ。民は指導者の後を追い、工事にまい進する。

|

« 今朝の聖句 : 私の中にある世との戦い | トップページ | 11月20日ニュース »

礼拝説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543924/53304278

この記事へのトラックバック一覧です: 11月20日メッセージ「内部からの試練に対して」:

« 今朝の聖句 : 私の中にある世との戦い | トップページ | 11月20日ニュース »