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2011/12/13

12月11日メッセージ「メシヤの証言者ヨハネの誕生」

こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。 ルカ福音書1:12(5~25)

クリスマスが太陽の光が大地を照らす時間の最も短い時に設けられたことは意義深い。大地はなおも寒さを増し、凍てつく時期を迎える。その時にはすでに太陽の光が伸び始めていて、春に向ってぬくもりの提供がされ始める。大地はなおも冷える。だが太陽は明るさを増し加え、春を供えようとしている。この相反するような自然の営みの分岐点に、私たちは救い主を迎える。暗い話題が覆う中に、問題を抱え将来に不安を覚えて悩む私たちに、「こわがることはない。」と、天使はささやく。クリスマスは希望を与えてくれる日だ。その希望を与えられたザカリヤ夫妻の物語から学ぼう。

《神の御前に正しく生きたのに》 

義人善人が神の祝福を受けて繁栄し、悪人罪人が災いに会い滅び行く。このような公式が明らかであれば犯罪も減り、争いも消えるとも考えられる。しかし、成功を目指す正義や、繁栄がゴールの善行を想像すると、どうも変だ。祭司ザカリヤと妻エリサベツの老夫婦は、「ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた」(6)。非の打ちどころの無い生活ぶりであったが、子が与えられず「もう年をとっていた」とある。70歳代とも思われる。当時、不妊は単なる生理上の問題ではなく、「主が彼女の胎を閉じておられた」(Ⅰサムエル1:5参照)と見なされ、神の祝福から漏れた宗教上の問題でもあった。エリサベツも「私の恥」(25)と表現し、子のないことが肩身の狭い問題であったことを示している。6、7、18節に「ふたりとも」との表現で、彼ら夫婦は誠実な信仰をもって、様々な悩みをも含め、人生をふたりして味わいながら歩んできた。子がなかろうと、問題が多かろうと、ふたりが同じ意見で無かろうと、同じ出来事、境遇を一緒に経験してきたことそれ自体が、祝福に他ならないと言える。老いてなお共に、は神からの祝福である。

《彼らの願いは聞かれた》 

神は人の力の尽きるところに働かれる。アブラハム夫妻が子を産んだのは、人の肉体上の可能性が失せた90歳、100歳に及んでである。ハンナがサムエルを産んだのも、産めない体であることを痛いほど承知せざるを得ず絶望した中でであった。人間の側では希望の光が消えてしまった時、神は働かれる。ラザロが重態の時には訪れず、イエスは彼が死んで三日も経ってからベタニヤに行って生き返らせた。ご自分の栄光を示すためである。神は、私たちの死んだ希望をよみがえらせる方だ(イザヤ66:9)。祭司ザカリヤは光栄な香を炊く役目に当って神殿に入り、天使より「あなたの願いが聞かれた」と言われた。祭司として、彼はイスラエルの贖われることをも祈っていたであろう。同時に、子がおればなあ、と老夫婦はしばしば互いに心に思うことがあったのであろう。その深い願いを、神は覚えて、今その成就の時が来たことを告げられた。そして産まれ来る子に「ヨハネ:主は憐れみ深い、恵んでくださる」と名付けよ、言われた。人の期待した時とは違っても、神は私たちの祈りを覚えて、叶えてくださる(詩篇66:19~20、エペソ3:20)。

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