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2012/01/10

1月8日メッセージ「黙って、ただ神を待ち望む (2)」

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。 神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない。 詩篇62:1、2(1~12)

危機に遭遇している詩人が、神の前に沈黙する理由は、以下のとおりだ。

《人は無力だから》

人は、問題が起こると解決を求めて走り回る。先ずは自分の力や才覚であれこれと対応する。最初はどうにかなるだろうと高を括ってかかるが、それでは無理とわかると本腰で臨む。それでも駄目なら別の方法をあれこれ試す。自力ではどうにもならなければ、今度は心当たりを頼み回る。しかし、いくら焦っても人の力には限界がある。当てにした助けも、いざとなると案外得られず、人の心変わりや薄情さをも経験する。これという大事な時に、自分も人も、当てにならない無力な存在でしかないことを知る。
国家の危機に右往左往するユダの指導者たちを、神は「彼らはエジプトに下って行こうとするが、わたしの指示をあおごうとしない。パロの保護のもとに身を避け、エジプトの陰に隠れようとする。しかし、パロの保護にたよることは、あなたがたの恥をもたらし、エジプトの陰に身を隠すことは、侮辱をもたらす・・・そのエジプトの助けはむなしく、うつろ。だから、わたしはこれを『何もしないラハブ』と呼んでいる」と評された(イザヤ30:2、3、7)。肝心の解決は人の側にはない。だから人は、神の前に沈黙して立つしかない(参照詩篇108:12)。

《人は罪深いから》

人は神に堂々助けを求める立場にはいない。むしろ神に逆らい、神の教えに従おうと願っても従い得ない罪深い存在だ。先ずは「してはならないことをする」罪がある。人との関係では以下のものが容易に私たちの心に生じる。相手への批判や悪口、嫉妬や恨み、悪意に憎悪、妬みなどである。また「なすべきことをしていない」罪がある。私たちは、自分の隣人への愛、親切、寛容、許しなどを実践していると、だれが言えよう。マルコ7:21~23の罪のリストにあるとおりで、聖い神の前に立つことは誰もできない。「すべての口がふさがれて、全世界が神の審きに服する」しかないのである(ロマ3:20)。ちょうどイエスの喩えの中の取税人のように、神から「遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』」と許しの憐れみを乞うて額ずく姿勢をとるしかない(ルカ18:13)。

《神は答えてくださるから》

神は人の罪深さに負けない。キリストの血は、いかなる罪をも清めて人を神の前に立たせる(Ⅰヨハネ1:9)。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くとも、雪のように白くな」り、神の前に立つ資格を回復できる(イザヤ1:18)。私たちの願いに、神はその全能と全知をもって応えてくださる。ここに希望がある。だから私たちは神の前に沈黙し、神の助けを期待して待つ。「私の助けは、天地を造られた主から来る」(詩篇121:1、2)。私たちの神は、「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」と紹介されている神だ(ロマ15:13)。皆、神の前に黙して待とう。私たちの手足が動き回る以上に、人の意見や励ましのことばが飛び交う以上に、神のお働きが私たちの営みを導き支配してくださるようにと。

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