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2012/02/14

2月12日メッセージ「歴史を支配する主に立ち返る」

ご覧ください。私たちは今、奴隷です。あなたが私たちの先祖に与えて、その実りと、その良い物を食べるようにされたこの地で、ご覧ください、私たちは奴隷です。                   ネヘミヤ9:36(1~38)

《民は自分たちの現状を知った》 

民は力を合わせて城壁の再建し、神の律法を皆で聞き、仮庵の祭りを再現し、「非常に大きな喜び」に沸いた(8:17)。その数日後、民は断食し、荒布をまとい土をかぶって集まった。彼らは、先祖たちがエジプトの奴隷状態から脱出し、パレスチナ全土に暮らした自由の民であったことを、律法の書で知らされた。自分たちは今、ペルシャ帝国辺境の地の、小さな地区を割り当てられ、異邦人の支配下で奴隷のごとくに暮らしている状況だ。
昔とは何と言う落差か。現状を仕方がないと肯定していた民は、私たちは今奴隷だと神に訴え始めた。これは泣き言ではない。彼らの状況は神との約束を破り神に背いた結果であることに気づき、現状を変えることのお出来になる神に訴えたのである。神の栄光を証しする役目を放棄し、惨めな現状に甘んじていた罪を悟って悔い改めたのであった。それは私たちにもあてはまる。私たちの生活ぶりも、福音の証人という役割にふさわしいとは言えない(マタイ5:13~16)。役目を果たしていない自分を率直に認め、砕かれる恵みに与かろう(イザヤ57:15)。

《民は神の恵み深さを知った》 

民は、朗読された聖書にあるアブラハムからはじまるイスラエルの歴史に見る民の失敗と神の恵みを、ここに取り上げて告白している。6~15節には、「すべてを生かしておられ、アブラムを選んで連れ出し、アブラハムという名を与え、契約を結び、彼らの悩みを見、叫びを聞かれ、しるしと不思議を行い、海を分け、追っ手を海の深みに投げ込まれ、雲の柱によって導き、火の柱によって照らされ、下って彼らと語り、まことの律法をお与えになり、教え命じられ、パンを与え水を出し、彼らに与えると誓われた地を所有するため・・」と、神の恵みが次々と挙げられている。16節からは「しかし」と神の恵みに対する民の罪、反逆が記される。だがそれらに続き、神の「それにもかかわらず、しかし」があって、神の恵みの数々がさらに多く挙げられる(参照17~25)。26~31節にもある、罪に勝る神の憐れみを心に刻もう(ロマ5:20後半)。

《民は自分たちの罪深さを認めた》 

このような神に恵みに感謝し喜ぶ、祝福に与かれるには、自分の罪を自覚する必要がある。彼らは自分たちの惨めな境遇に気づいた。そしてそれが自分たちと先祖の罪の結果であることを知って、断食し土をかぶって悔い改め、許しを願った(32~37)。私たちクリスチャンは、自分の問題を他の人のせいにしてはならない。神の責任でもない。「神よ、そうです。私がこのようになっているのは当たり前です。あなたは正しく、私が悪いのです。」と、率先して自分の罪を認め、神と人とに告白することである。すぐ人を批判する己の幼児性に気づき(マタイ7:1~5)、己の罪、己の愚かさを自覚した大人のクリスチャンとして神の前に、悔いた心をもってひざまずこう。そこに神の恵みが注がれ、人との和も広がる。エズラに導かれ、民は具体的な神への服従を、神との契約をもって開始する(38)。その詳細は10章に続く。

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