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2012/02/07

2月5日メッセージ「聖書に耳を傾けて」

民はみな、いっせいに、水の門の前の広場に集まって来た。そして彼らは、主がイスラエルに命じたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに願った。そこで、第七の月の一日目に祭司エズラは・・・・律法を持って来て、水の門の前の広場で、夜明けから真昼まで、男や女で理解できる人たちの前で、これを朗読した。民はみな、律法の書に耳を傾けた。 ネヘミヤ8:1~3(1~18)

《民は聖書を求めた》 

様々な妨害にも屈せず進められたエルサレム城壁の修復は完成し、今この地に移住して来たイスラエルの各部族の民が確認され、住まいが確定された。しかし、これらは、「非常な困難の中にあり、またそしりを受けてい」た(1:3)ユダヤ国家の、再建の前半分、外側の見える部分だけに過ぎない。事業の中心は神の民の再建である。
城壁の完成した6月25日から5日過ぎた7月1日(6:15、8:2)、民は神の律法を聞こうと皆いっせいに、ひとりの人のように集まって祭司エズラに律法の書の朗読を願い出た。太陽暦で言えば10月初めの頃である。信仰の再建は神の言葉を通してなされる。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ロマ10:17)とある通りだ。世界は神の言葉によって始った。「初めに、ことばがあった。」(ヨハネ1:1)はともある。私たちの万事に、先ず神の言葉を聞くことは、大事な原則だ。

《エズラは解き明かした》

人は大きな事業を成し遂げた後が、その人にとって最も危険なときであるとも言われる。ヨシュアは大都市エリコの勝利の後、小さなアイの町の攻略で屈辱的な敗北を経験している。全く神の力だけで与えられたエリコ陥落だったのに、その勝利に驕り、敵を過小評価したためであった。信仰と思い上がりは正反対である。エズラはネヘミヤより13年ほど前に帰還している。城壁完成の祝いの後、エズラは早速に民への霊的指導を開始した。講壇が設けられ、聖書が開かれると民衆は立ち上がり神の言葉への敬虔な思いを表明し、エズラの主への賛美に応じて「アーメン、アーメン」と地にひれ伏して礼拝した(5、6)。神の言葉は単なる文学書、法令、倫理の書ではない。生ける神の、愛と真実にあふれた私たちへの呼びかけであり、私たちの信仰の決断を求めるものだ。律法が解き明かされると、それを理解した民は、言葉と態度で神に応答した(7、8)。

《民は聞いた言葉に従った》

み言葉を聞いた民は、自分たちの不信仰と罪を知らされて、心を刺されて泣いた(9)。しかし神の言葉は、罪を知って悔い改めたものを悲しみと絶望の中に放置しない。主は、私たちを喜ばしい永遠のいのちの中に歩ませる(ロマ5:21)。この素晴らしい神の愛と祝福を喜ぶところに、私たち信仰者の力の源泉がある(10、12)。神を喜ぶ者は、み言葉への興味を抱き(13)、教えに沿った行動に導かれ、非常に大きな喜びを味わうに至る(17)。私たちに求められていることは、己の罪を認めて悔い改め、御子キリストの十字架の許しに与かることだ。そこに神からの許しと開放、そして無限の支援が与えられている。感謝と喜びの他はない(Ⅰコリント1:18、ロマ5:2,3)。

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