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2012/03/01

2月26日メッセージ「神が住居を備えられた」

民のつかさたちはエルサレムに住んでいたが、ほかの民は、くじを引いて、十人のうちからひとりずつ、聖なる都エルサレムに来て住むようにし、あとの九人をほかの町々に住まわせた。すると民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな、祝福した。 ネヘミヤ11:1、28、29(1~36)

ネヘミヤ書の11章はそれぞれの家族がどこに住んだかという目録で、その一族の名も、地名のほとんどもなじみがなく、一読して感動するような内容ではない。しかし、ネヘミヤ時代の民には大変重要なことだったのだろう。

《民は住む場所を得た》 

昨年の大津波で住まいを失い、原発事故の避難等で、一年経つ今も落ち着き先のない人々が多くおられる。落ち着ける住いのあることは幸いである。90年程前、バビロンから戻った第一次の帰還者たちは、「すべてのイスラエル人は、自分たちのもとの町々に住みついた」とある(エズラ2:70)。しかし祖国の再建は周囲からの妨害もあって停滞し、生活苦の中で民の信仰も衰えて行った。だが今、エルサレムを中心に各自の居住地名が挙げられ、12回もそれぞれの場所に「住んだ」とある。民は各自の持ち場を再確認し、エルサレムから始った祖国再建の事業を、新たな思いで再開したのである(詩篇16:6)。

《民は神の約束成就を見た》 

民に託された土地は広いとは言えず、豊穣な地であったわけでもない。彼らの先祖が、バビロンの捕囚の地で「シオンを思い出して泣いた・・・エルサレムよ。もしも、私がおまえを忘れたら、私の右の手がその巧みさを忘れるように・・・」(詩篇137:1、3)と誓ったのは、そこが父祖の故郷であったからだけではない。「住んだ」と繰り返して記しているのは、神はご自分の民を嗣業の地に再び住まわせて下さるという約束を、今ここに果たしてくださったことを確認して喜んでいるのだ。豊かな生活なら、ダニエルやネヘミヤなどの例が示すように、バビロンで出来た者も少なくない。長い年月の末に、神はイスラエルの民への約束を守ってくださったことが明瞭になった。自分たちの罪と愚かさにもかかわらず、神はなお自分たちの主であることをおやめにならず、祝福の約束を果たすと言われた(イザヤ54:10)。民は嗣業(ゆずり)の地を与えられていることを確認し、神との関係を確認し、喜んで神に感謝したのである(20)。

《民は指示に従って住まいを移した》 

このような神に仕える者として、彼らは自分たちの都合よりも、神の意向に従うことを選んだ。破壊され長く放置されていたエルサレムは、神に呪われた地と見なされていたのだろう。あるいは生き残ったエルサレムの住民がほとんどなく、子孫も少なかったのかも知れない。しかし祖国復興のシンボルであり、神殿があり、やがて王の王が入場なさる都である。当時はまた、神殿の宝物を狙う襲撃の絶えない危険な町であったようだ。だが、くじに当たったことを神の意向と受け止め、住まいをそこに移した。ふくろうと狐の住みかとなっている荒れ果てた町に、自発的に「自分から進んでエルサレムに住もう」とする民も現れたという(2)。それは勝利の王に従う戦士を思わせる(士師記5:2参照)。この居を移すほどの信仰が、私たちにも求められている。思いはある、だが自分の住まいを出てまで、危険を冒してまで、評判を落とすようでは、と留まってしまう。半端な信仰から、立ち上がりたいものだ(マタイ10:37、38参照)。

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