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2012/03/22

3月18日メッセージ「神の民にふさわしく」

そこで、私は彼らを詰問してのろい、そのうちの数人を打ち、その毛を引き抜き、彼らを神にかけて誓わせて言った。「あなたがたの娘を彼らの息子にとつがせてはならない・・・私たちの神に対して不信の罪を犯し、このような大きな悪を行なっていることを聞き流しにできようか。」     ネヘミヤ13:25、26(1~31)。

《失敗であっても》

ネヘミヤのエルサレム再建計画は12章で賛美と喜びの奉献式で見事な完成を見た。市民生活の秩序が整い、礼拝制度が確立され、城壁がそれらを保障してくれる。やがてネヘミヤはペルシャに戻った。しばらくしてエルサレムに帰った彼が目にしたのは、耕した畑を一面に覆う雑草であった。信仰の実を期待した神の畑が、無残に荒れ果てている。神殿も城壁も残っているが、奉仕する祭司レビ人の姿はなく、防ぐべき敵が今や城壁内に侵入している。いや神殿に居をさえ構えている。これがネヘミヤ書最後の章の内容である。ハッピーエンドどころか、人生の終わりを迎えた老人の顔を照らす穏やかな夕映えの輝きもない。困難な仕事を終えた満足もない。ただ、言いようのない悲しみがあるだけだ。だが、ネヘミヤだけが特殊ではない。聖書のどの書簡も、人の手で完成また成功で終わっているものはなく、未完成、失敗を記している。しかし、最後の章を、人は神に委ねることが出来る。主イエスこそ、私たちの初めであり終わり、アルファでありオメガである。この方が、私たちの失敗をも整え、神の御前に出してくださる。ここに安心と希望がある(黙示22:13)。

《不信者と分離し》

ネヘミヤは確か失敗した。だが、また再建に立ち上がる。これは彼のではなく、神の事業である。神が彼を働き手に選んでおられるなら、三回でも百回でも、信仰の戦い続ける。ネヘミヤは聖書が禁じている異教徒との深い関係の分離を実行した。事もあろうに、大祭司がネヘミヤに敵対していたアモン人トビヤ(4:7,6:12等)を、神殿の一室に住まわせていた。ネヘミヤは「大いにきげんを悪くし」、一家を追い出し、部屋をきよめ、信頼できる祭司たちに管理を委ねた。私たちは神に属する者(ヨハネ17:16、17)、世と調子をあわせてはならない(ロマ12:2、Ⅱコリント6:14、ヤコブ4:4)。私たちも、神のみ旨に沿わない交わりを大いに不機嫌になって、一掃すべきだろう(Ⅱコリント6:17,18)。また民の中に、異教徒との結婚が再び行なわれ、それは子どもたちから神のみ教えを覚える言葉さえも奪っていた(24)。これもまた、詰問して呪うべき事件であり、聞き流しにできないことだ(25、27)。人情に流されてはならない。

《礼拝を確立し》

ネヘミヤの留守中、生活苦からか、祭司たちの不適切な言動によってか、捧げものが滞ってレビ人たちへの支給が出来ず、彼らは自分の農地に帰らざるを得なくなっていた(10)。当然、礼拝に支障が出たのであろう、安息日の礼拝がなされず、商売の日になってしまっていた。ネヘミヤは激怒した。譲歩せず、即刻そのような商売を禁じる措置を講じた。祝福は取引によるのではない。神を礼拝し、その教えと導きに従って歩むところに、神が恵みの手を差し伸べてくださるからに他ならない。配慮と思いやり、妥協だけでなく、断固とした、無骨な信仰が求められる。勇気のある信仰の決断に、神の祝福があることを信じよう(マタイ6:33)。

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