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2012/03/06

3月4日メッセージ「神を賛美して喜ぶ」

こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。 ネヘミヤ12:43(1~47)

ネヘミヤ書12章の前半26節までには、紀元前538年のバビロンからの帰還から332年までの祭司とレビ人一族の目録が記されており、27節からの後半には、民の喜びと感謝にあふれた城壁の奉献式の情景が紹介されている。

《祭司とレビ人は》

「シェアルティエルの子ゼルバベル、およびヨシュアといっしょに上って来た祭司とレビ人は次のとおりである」(1)と祭司レビ人の紹介が続く。もちろんその2百年間に活躍した有能な政治家や偉大な信仰者をも、ネヘミヤは知っていただろう。しかし彼は、ユダヤの歴史を、ただ祭司とレビ人の系譜を挙げて紹介しただけだった。彼は、経済や文化、軍事力に優先して信仰を重視し、祭司たちこそが民の信仰の中心的役割を果たす人々と見ていたからだ。人は社会的評価で事の大小を見、世間の目を基準に優劣を計る。しかし私たち信仰者は、それが神の御目にどう映るかを考えて決定する。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」(へブル11:6)からである。だから、聖書、伝道者、信仰の友の存在を、私たちは大きく見る。神を第一に置く姿勢を、大切に貫いて行こう。

《民は身をきよめて》 

「祭司とレビ人は、自分たちの身をきよめ、また民と門と城壁をきよめた」(30)。高揚した落成式には、この工事の功労者を顕彰し、互いの労をねぎらい、その功績をたたえ合うものだ。だがバベルの塔建設時の、名を挙げようとの高慢さはここにない。高慢と自賛を退け、あの僕のように、特別なことを成し終えたと誇るより、「なすべきことをしただけです」(ルカ17:10)と言う。改めて知った自分たちの罪深さを許してもらおうと、ネヘミヤはきよめの式を行った。民は罪を告白し、罪の染みついた町も城壁も自分たちをも、みな神に属するとして、神にすべてを委ねたのである。「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい」(詩篇127:1)と告白し、主の守りを願った。

《感謝の歌をささげて》 

民は「シンバルと十弦の琴と立琴に合わせて、感謝の歌を歌いながら喜んで、奉献式を行なおうとした」(27)。敵意に囲まれた不安な政治情勢と貧しい経済環境下にあったが、民は喜びに溢れて奉献域に臨んだ。43節に「喜び歌った」が4回も繰り返されている。現代人は、多くを獲得し成功を納めた時こそが幸せとする。だが当時の民は、この城壁の再建工事の完成に神の愛顧を見たので喜んだのであった。荒れ果てたまま放置され、廃墟と化していたエルサレムが、今は城壁を新たにし、新居の建設が始まっている。神は我らを顧み、慈しんでおられるという現実に、民は女子どもを含めて喜び歌わざるを得ない。信仰者の賛美こそが、恵みの神への応答にふさわしい。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4:4)。パウロも、御霊の最初の実に「愛と喜び」を挙げている(ガラテヤ5:22)。二つの大きな聖歌隊を先頭に、完成した城壁の上を民は喜びを込めて賛美しつつ行進した。エルサレム中にあふれた賛美は、はるか遠くの、悔しさに震えるサヌバラテたちの耳にも達したであろう。御名を崇めよう。

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