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2012/04/03

4月1日メッセージ「自分を救うこともできないくせに」

民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、「ユダヤ人の王なら、自分を救え。」と言った。 ルカ福音書23:35~37(33~49)

《無知と嘲笑と侮辱》

イエスの十字架の周囲で展開された人々の光景と言葉は、何もかもがイエスを侮辱しイエスを嘲笑するものであった。それはまた、神の計画の成就でもあった。
主イエスは、犯罪人の一人であることを印象付けられるように、二人の犯罪者と一緒に処刑された。人の悪意を越えた神の預言の実現であった(22:37、イザヤ53:12)。また当時の習慣で、囚人イエスの着物がくじ引きされ、民衆はながめ、指導者はあざ笑ったとある(34、35)。詩篇22篇の預言の成就であった(22:18、7~8)。ピラトは自分の意に反しユダヤ人たちに押し切られて処刑することになった腹いせに、「これはユダヤ人の王」という罪状「札も」付して嘲った。「指導者たちも」と、侮蔑の一連の行為として記されている。十字架のイエスこそ民の真の王である方なのだが。兵士たちも退屈しのぎであろうか、酸いぶどう酒を突きつけて侮辱した(36、詩篇69:19~21)。
特にイエスに投げつけられた侮辱の言葉は、「自分自身を救え」であった(35、37、39)。もちろん人々は、イエスが十字架から降りて、警護の兵士を蹴散らし、自由の身になれるとは思ってもいない。だから嘲笑したのである。侮辱や嘲り。それは敵意や憎しみ、怒りとも違う。自分の身を安全なところにおいての、心の鬱憤の憂さ晴らしであり、歪んだ心の暴走、劣等感の邪な解消法かもしれない。自分さえ救えない者が何を言うかと、弱者を血祭りにして優越感に浸る。醜さが一面を覆った。

《愛と許しと正義》

イエスの十字架上での最も胸を打つ言葉が、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(34)だ。人は無知の故に、このような悪を働いているのだから、自分を侮辱し、苦痛を与える人々のために執り成しておられる。もちろん主は力ある王である。十字架から下り自分を救うことは造作もない。だが十字架に留まられた。彼は「神のキリストで、選ばれた者」だから(35)、自分を救わないのだ。
選ばれた者とは「主の僕」を指し(イザヤ42:1)、モーセのような預言者を意味する(申命記18:15~18)。モーセは、神の背いて滅ぼされかけた民に代わって間に入り、神からの言葉を取り次いだ。民の破れ口に、民に代わって立ちはだかって¥民を守る人が選ばれた者の役目だ(詩篇106:23、エゼキエル22:30)。だから当然、他人を救うために自分を犠牲にして破れ口に立つ。自分を救わないイエスを、民の指導者は分からないでいる。嘲る民のために、ご自分を犠牲になさる主イエスに、愛と真実を見る(Ⅰヨハネ4:9)。

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