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2012/04/10

4月8日メッセージ「復活、それはたわごとと思われた」

そして、墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告した。・・・ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。         ルカ福音書24:9~11(1~12)

《主はよみがえられたが》

主イエスの復活。それはある米国人が数百億のくじにあたったとか、この不況の中である会社の景気が良い、などという他人事ではない。信じる者の人生が完成され、そのすべてが意味あるものとなるだけではない。必要なら荒野が沃野に変えられる可能性を与えられたのである。しかし、弟子たちは、空になった墓を見、御使いのお告げを聞き、復活のイエスを目にしたが、それでもキリスト復活を事実として信じることは容易ではなかった。「うれしさのあまりまだ信じられず」(41)喜んだのは、夜になってからのようだった。

《女たちは御言葉を思い出し》

彼女たちはイエスの復活を期待して墓に向かったのではない。期待し愛していた方の無残な死に衝撃を受け、失意と悲しみを抱えたまま、遺体にせめて弔いの装いだけでもとの思いであった。だが、主は予告通りに復活された。希望が神の側から提供された。彼は「生きておられる方」で、遺体の腐敗を遅らせ腐臭を遮る香料は不要になった。墓穴をふさぐ大きな石はわきにころがされている。墓から出るためにではなく、空の墓を見て復活されたことが分かるような主の計らいであった(マルコ16:6)。途方にくれるであろう女たちのために、主はみ使いを待機させて説明させた。それでも彼女たちは、復活の事実や意味をすぐには理解できなかったようだ。だが、彼女たちは、ガリラヤですでに弟子となっていた。「ガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。」(6)とみ使いに言われ、彼女たちは、イエスの復活の言葉を思い出し(8)、空の墓の意味を悟って喜んだ。そして女たちは、主の復活を伝えようと、朝のエルサレムの町を走った。

《しかしペテロは立ち上がって》

「一部始終を報告した」女たち4、5名は、入れ代わり立ち代り、次々と熱心に話し続けた(10)。しかし聞いた弟子たちは、「たわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった」(11)。女の話だからと軽視し信用しなかったのではない。彼らの多くは漁夫で、湖上での危険を幾多も潜り抜けてきた実際的な判断力の持ち主であって、よみがえったなどという話を信じることは出来なかったのだろう。兄弟ラザロの死んだ時、マルタはイエスの言葉に、私は彼が終末の時に復活することを信じている、と答えている(ヨハネ11:24)。そんな意味での信仰を弟子たちも持っていたが、三日目によみがえるとは思えなかったのだろう。しかもイエスは木に架けられて処刑されたのだから、神の呪われたのだとユダヤ人は思っていた(申命記21:22、23)。死者が生き返るはずがない(イザヤ26:14、ヨブ7:9,10)。しかし、主イエスはペテロの信仰がなくならないように祈っていると言われた(22:22)。ペテロは墓に走って、亜麻布だけが残されているのを見て「驚いた(不審に思った)」が、信じるに至らない。彼らは決して迷信的な人々ではなく、常識を持って判断する私たちの仲間である。そしてついに主が彼らにお姿を見せてくださって、目を開いてくださった(31、39、45)。
たわごとではない、復活の事実を、私たちもまた、自分の生活に見て行こう。

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