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2012/05/09

4月29日メッセージ「極度の貧しさにもかかわらす」

さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。                
Ⅱコリント8:1~4

 教会の宣教会計が今、厳しい状態に置かれている。数年前からの傾向で、社会の不況が教会員の家計を直撃した結果なのかも知れない。しかし、これが私たちの宣教への重荷の減少の原因だとしたら、単に経済の問題にとどまらない。教会の霊的信仰的な問題でもある。

 私たちの教会は、対外的な宣教活動を支援しようと、教会の一般会計の一割を超える額を目標に、宣教献金として別にお捧げしてきた。そして一割以上の支援を続けてきたが、昨今それが危うくなりつつある。宣教約束献金の減少である。原因が、各自の収入の減少からだけでなく、国内および海外での宣教活動に参加しる責任感や重荷が薄れたためでもあるなら、牧師として責任を覚える。

 改めて教会の使命を明確に確認して行こう。教会あるいはクリスチャンは、当初から「地の塩、世の光」と喩えられているように、周囲に自らを溶かして味付けする、油を燃やして明るさを届ける、という他者に仕えるという性格を託されている。ゲラサの狂人が、主イエスの救いに与るとすぐ、「イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったをデカポリスの地方で言い広め始めた」(マルコ5:20)とあるように、私たちはいただいた喜びを語らざるを得ない。いや私たちの救いと希望の証を必要とする人々が、私たちの宣教を待っているのである。福音を喜び、その恵みに生きる私たちキリスト者は、「もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。」(Ⅰコリント9:16)とパウロと共に告白するものでありたい。

 冒頭の句で、使徒パウロは、商業都市コリントの金銭に執着する傾向の信徒に、彼らが蔑視するギリシャの後進地マケドニヤの信徒たちの献金の例に学べ、と勧める。同様に、私たちが捧げることに困難を覚える幾多の悪条件、試練また極度の貧しさの中にあったとしても、それで終わってはならない。信仰の喜びに溢れるなら、力に応じ、いや力以上にささげて、宣教師伝道者を支えたいと強く願う。その支援への参加を、恵みだと考える。こんな積極的で明るい宣教支援に、私たちは招かれている。感謝であり、喜びであり、実に嬉しいことだ。
宣教約束献金は、今の収入額から割り出して決めるのではない。これだけのものをぜひお捧げしたい、という重荷をいただいた時に、それが出来る収入を与えてくださいと、信仰によって神に期待して決めるものである。「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。あなたは右と左にふえ広がり、あなたの子孫は、国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。」(イザヤ54:2、3)との勧めの言葉に応じよう。

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