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2012/05/15

5月13日メッセージ「慰めもまたキリストによってあふれている」

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。 Ⅱコリント1:4、5(3~7)

《私たちにあふれている》

キリスト教信仰生活において最も大切にすべきは聖書だと言えよう。同時にまた大事にすべきことは教会生活である。聖書は信仰者に具体的な生活の場として、信仰の共同体として、旧約ではイスラエル民族とその国を、新約では教会を挙げている。教会(エクレーシヤ)は「呼び出す、呼び集める」という言葉に由来し、神に召し出されキリストを信じた者たちの集まりで、その目的はキリストを主と仰いで共に仕える集まりである。その最初の姿を使徒の働き2章が紹介している(2:21~47)。その親密な姿を「みないっしょにいて、いっさいの物を共有していた」と記している。この「共有、コイノニア」が教会の特徴である。冒頭の聖句の続き7節に「苦しみをともにしているように、慰めもともにしている」とあるが、それは「苦しみ(慰め)のコイノーノイ、苦しみ(慰め)を共にしてくれる仲間と生きている」との意味である。教会は、ひとりのクリスチャンにだけの苦しみや慰めではなく、「私たちにあふれている」と表現できるような、共有する(コイノーネオー)ところであり、そのために集められた共同体である。

《慰めもまたあふれている》

「共有、コイノニヤ」は通常「交わり」と言われるが、今日の聖書の「慰めの共有」は教会の第一の特徴でもあり、今の社会に最も必要とされている面である。パウロは慰めを語る前に、苦難を語る。いやその前に、神への賛美を語る。「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます」(4)とは、キリストが私たちの苦しみを共にしてくれる仲間となって、満ち溢れる慰めのコイノニヤを造ってくださったからである。苦難、苦悩は私たちの信仰を問う。そして改めて、自分の思いをはるかに越えた神のご愛の大きさに気づく。そして神への信頼と感謝とをもって、新たな信仰に飛躍する(ロマ5:1~11参照)。また「神が私たちの味方であるなら、誰が私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして御子といっしょにすべてのものを恵んでくださらないことがありましょう。」と(ロマ8:31、32)。

《すべのて慰めの神》

パウロは「どのような苦しみ」を繰り返し、あらゆる患難に勝って大きな神を賛美している。神を賛美するとは、神を大きくすることでもある。パウロは多くの苦しみを経験したが(11:23以下)、それに勝る神からの慰めを経験したのだろう。神は「すべての慰めの神」であり、苦悩の中で他者を慰めるほどの慰めを与えてくださる神である。それは大きいだけではない。嘆くことを静めて終わらせるにのではない。宥めることでもない。旧約へブル語の「慰め」の語に「大きく息をさせる」との意味があると言う。ヨブの場合のように、神は十分に嘆き、疑い、神の逆らうような立場を保障し、人間に新たないのちを与えることである。詩篇94:19。

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