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2012/05/29

5月27日メッセージ「この愛に動かされて」

 キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。       Ⅱコリント5:15(14-15)

聖書の中に見るキリストとの個人的な出会いを経験し、人生が大きく方向転換した人々の中で、使徒パウロほど劇的な変化を遂げた人物は他にいないでしょう。彼は、以前はクリスチャンたちを迫害し死に追いやった熱烈なユダヤ教徒の中心人物でありました。ダマスコの途上で、復活のキリストに出会い回心に至った彼は、一変して最も強力な福音の宣教師に変わってしまったのです。彼は紀元67年頃、ローマ皇帝ネロの統治下で殉教します。何が彼を駆り立てそうさせたのでしょうか。

《強く迫るキリストの愛》 

パウロは、神によって全く新しい人に造り変えられました(17節)。彼は、自分がキリストの愛によって取り囲まれている現実に気づいたのです(14節)。「取り囲む」は「強く迫る、支配する、抑圧する」という非常に強い意味のことばです。キリストの十字架の死が、自らの罪の贖いのためであったこと、十字架上で示されたキリストの愛が信じる者の内に今も継続して注がれている現実にパウロは、激しく迫られているというのです(ローマ5:6~8参照)。2千年前にキリストが身をもって十字架上で示してくださった無限の愛は、今も現実のこととして私たちに強く迫っているのです。神に背き、自己中心的に生きていた私たちを、いのちがけで救ってくださったこのキリストの愛こそ、信仰者のすべての原動力であるべきです。この愛に動かされる時、私たちの行動は神の御前に真実なものとなり、神の恵みと祝福を取り次ぐ通り良い管として大きく用いられるのです。

《罪の結果である死》 

罪から来る報酬は死です(ローマ6:23)。パウロは論理的に話を展開し、クリスチャンは先ず「死んだ者である」と結論しています(14節後半)。ひとりの人キリストが、私たちの身代わりとなって死んでくださった。これは、身代わりになってもらった私たち各自の死をも意味するのです。だれでも、キリストの十字架の死が、自分の罪のためであると認め告白した時に、古い自分が死んでキリストが開いてくださる新しい人生がスタートするのです(ローマ6:4、6)。これまでの自分とその生活を刷新し、すべてを愛する主イエスに委ねて生きて行こうと決意する道が開かれているのです。ここでの死とはキリストへの全面的降伏、委任、つまりキリスト者の神への献身を意味します(ローマ12:1、14:8)。主は私たちの人生を引き受けてくださるのです。

《主のために生きるいのち》 

キリストは死を打ち破り、3日みによみがえられました。キリストの復活によって、新しい歩みの方向性が明確に示されたのです。クリスチャンは今も生きておられるキリストの圧倒的な愛に動かされて、真心から神に仕え、周囲の方々の祝福となるようにと、神によって各々のふさわしい持ち場に派遣されているのです。キリストを信じて与えられた永遠のいのちは、神のお考えやご計画を無視し、自分の目的や欲を満たすために与えられたいのちではありません。復活の主のために生きるようにとのすばらしい目的が与えられたいのちなのです(ガラテヤ2:20)。いのちを捨ててまで愛して下さった主がおられるのです。主があなたに求めておられることは何でしょう。主にすべてをおささげすることではないでしょうか。今、この愛に動かされて一歩前進して参りましょう。

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