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2012/06/25

6月10日メッセージ「教会、そこで交わされる会話」

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 イザヤ53:5

教会はそこに集う信徒が喜びや苦しみまた問題を共有するために集められた共同体である。「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合い」(エペソ4:32)、相互に受け入れ合う活動を推進したい。そのために何を語り合うことが必要か。

《人は深刻な問題を抱えている》 

私たちは、スポーツから政治、健康、子育てや仕事、趣味等、多種多様を話題にする。だが教会で語るべきこと、教会でしか語られない大事なことがある。今後の経済の見通しや健康についての情報を、牧師の説教に期待する者はいないだろうし、語るべき内容でもない。確かに病気に悩む方の訴えに耳を傾け、助けとなるであろう情報や支援法について語ることも意味があろう。
だが、教会は社会福祉を第一の使命としてはいない。貧しさに苦しみ、病に悩み、人との軋轢に絶望している者いる。そして特段の問題を感じていない人もいる。だが癌に冒されているに当人は気づかず、虫歯の痛みを訴える友人に同情している場合もあろう。ハイデルベル信仰問答書は、「何によって、あなたは自分の悲惨さに気づきますか」と問いかけ、「神の律法によってです」と答え、次いで、神を愛し人を愛するように命じられながら神と自分の隣人を憎む方に傾く自分の心を告白している。神を愛し、隣人を愛して生きるような、神のかたちに似せて創造されたにもかかわらず、また神の教えの正しさを承知しながら、悪い方に傾いてしまう自分を、私たちは知っている(エペソ2:1~3、5:1~6参照)。罪と神の怒りと呪いの下にあるという、この悲惨な事態に、私たちは第一の関心を払う必要がある。

《問題の解決はキリストにある》 

預言者エレミヤも、「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」(17:9)と嘆いて、己の罪にも気づかぬ深刻な心の病を、「私をいやしてください。主よ。そうすれば、私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。」(同14)と祈っている。使徒パウロも、善を願えども悪に走ってしまう自分を発見して絶望し、「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と嘆き、一転してキリストの救いに与かった身を喜んでいる(ロマ7:18~25参照)。

《キリストにある癒しに向けて》 

私たちはパウロの受けた救いを経験し、癒されている。「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(Ⅰペテロ2:24)。私たちが経験する諸々の問題の根底には、罪がある。この罪の解決のために、キリストご自身が私たちの罪のすべてを担い、私たちにお与えくださった。
教会が語るべき言葉は、ここにある。これは教会以外に聞くことはできない情報である。そして、それは「ただ悔い改めと信仰によって」、それだけでいただける恵みである。神の御国の祝福は私たちのそばにある(マルコ1:14,15)。これを語ろう。

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