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2012/06/25

6月3日メッセージ 「教会、それは慰めのコイノニヤ」

このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。 マタイ18:12(10~14)

教会は、そこに集う信徒が喜びや苦しみまた問題を共有する(コイノーネオー)ために集められた共同体であることを、この前に学んだ。改めて私たちは受け入れ合い、励まし合う共同体であることを確認して、その働きを進めよう。

《慰められている者として》

教会は天からの慰めをいただいている。ハイデルベルグ信仰問答書は、「生きるにも死ぬにも、あなたの唯一つの慰めは何ですか。」との問いに、「私が私自身のものではなく、身体も魂も、生きるにも死ぬにも、私の真実の救い主、イエス・キリストのものであることです。この方はご自分の尊い血をもって、私のすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力から、私を解放してくださいました。」との答えを記している。私たちは、キリストの救いを与えられ、その愛の御手の中にかくまわれ、慰めと助けを受けている(Ⅱコリント7:4)。
神の慰めは、私たち自身を慰め手にする。「私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです・・・もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。」(Ⅱコリント1:4~6)。魂への配慮は、牧師だけではなく、教会員全員の役目でもある。

《慰めるべき相手は》

迷い出た1匹の羊のたとえは、99匹の羊より1匹の方に価値があるというのではない。助けの必要なひとりの人の回復のため、全力を尽くして関わることを教えていると理解すべきだろう。「この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。」(10)。社会で蔑視され、私たちも軽んじてしまう人を、神から託された大切な人として迎え、そのひとりに集中して関わるように警告されている。ひとりひとりが神に愛されている大切な存在である。病んで傷ついている魂は、人からの尊敬と愛を必要としている。神に癒され、その愛を知った私たちは、助けを必要としている魂(心)を受け入れ、真摯に接し、その魂が新しい息吹が出来るようにと、労わり慰める。人はみな慰めを必要としている(イザヤ40:1)。
私たちは、教会の人数拡大のために伝道したり、能力のある人を獲得しようと奉仕するのではない。社会的に無視され差別される小さな者への愛の行為を、主イエスはご自分にされたことと受け止めてくださるのだ(25:40参照)。

《慰める方法》

魂をケアすること、慰めることは、生活の支援とは異なる。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(4:4)とある。最も大事な慰めは、パンの提供ではなく、相手に生ける神の言葉を伝え、それによって立ち上がれるように励ますことだ。その第一は相手に語らせることだ。人は自分の不安や心配事、思っている事や感情を言葉で表現することで、心の整理がつくものだ。自分を語らず、相手が間違ったことを語ったとしても話を遮らない。自分の心を率直に話せるように、尊敬と関心をもって、忍耐強く聞き続ける(ヤコブ1:19)。神も聞く方だ(創世記16:11、詩篇40:1)。第二に、自分の意見や問題解決に役立つ情報の提供に勝って大事な慰めが神のみ言葉とその助けにあることを忘れずに、聖書を開き共に祈る。そうすることで相手は、神が自分をどのようにご覧になっているかを思い、神のまなざしを意識する。そして「わたし、このわたしが、あなたがたを慰める」と言われる神の慰めを仰ぐことにもつながる(イザヤ51:12)。

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