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2012/07/09

7月8日メッセージ「愛のコイノニヤの実践を」


     愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
     礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに
     真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
     愛は決して絶えることがありません。                     Ⅰコリント13:4~8

《教会を形成するために》

パウロの時代、コリント教会では自分が人よりも優れた神からの特別の賜物をいただいていることを示そうと、人には理解できない異言を語って得々としている人々がいて、教会を混乱させていた。パウロは彼らを戒め、「教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです。」(Ⅰコリント14:19)と諭した。自分を誇る一万語より、たった五つのことばでも人の理性に語りかけ信仰の理解を助けるがことがはるかに勝るのだと。「そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい」と、あらゆることを教会の信仰的徳の建設のためにと勧めている(同24~26参照)。
私たちの言動が、教会を形成するにどれほどの役割を果たしているのか、互いに吟味する必要がある。求道中の方々にも理解できる言葉が、教会の説教においても、兄弟姉妹間の交わりの中でも、愛と誠実さをもって語られているならば、「神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝む」という現象が起き、教会が形成されて行く。

《教会の愛の吟味を》

真理のことばは、「愛をもって真理を語り」とあるように、愛によって裏付けされて力を持つ(エペソ4:15)。教会は愛においても豊かさを持つ。教会に与えられている最高の神の賜物は愛である。神は豊かな霊の賜物を教会にお与えになっている。パウロは冒頭の「愛の賛歌」と呼ばれる言葉を理想として語っているのではなく、「私が」という主語で語り始めている。「キリストの愛が私たちを取り囲んでいる」という現実から、教会の愛のコイノニヤ(交わり・共有)について語ってい(Ⅱコリント5:14参照)。
私たちの教会が、この実践的で具体的な愛のコイノニヤに生きているかを、各自自己吟味する必要がある。もう一度、この聖書箇所の一つ一つのことばに目を留め、自らを省みて悔い改めよう。そして主イエスが私に期待しておられる愛の実践に踏み出そう。兄弟姉妹の愛に励まされ、その罪に寛容と忍耐を試されて強められて行く。「すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍」ぶことを、続けて行こう。

《教会の語るべき言葉》

愛の実践を勧めたパウロは、その延長に、「預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します・・・預言する者は教会の徳を高めます。」(Ⅰコリント14:3、4)と語っている。愛の実現のために、愛の福音を告げる「預言」こそが、教会を生み、教会を建て上げる大事な働きとしている。私たちは交わりの中でなお罪に汚れた言葉を口にする(エペソ4:29~31)。だからこそ、私たちは改めてキリストに聞き、キリストに学ぶ弟子として歩もう(同4:17~21)。

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