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2012/09/16

9月16日メッセージ

苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。
詩篇50:15

《苦難の日に遭遇して》

 東日本大地震と原発事故から一年半。津波の後は復興は進まず、原発事故の収束には気が遠くなるような時間を必要としている。多くの人が今も故郷を追われて不便な避難生活を余儀なくされている。
予想もしなかった突然の事件は、地震や津波などの自然災害だけではない。規模は小さくとも、不治の病を告げられたり、事故に遭遇するなどは、個々人にとっては大変な苦難である。解決を見出せない事態、いつ崩壊するかわからない不安な状況に置かれ、心身ともに限界を迎えている人もいる。冒頭の聖書のことばは、私はまさに苦難の日に置かれていると思わざるを得ない人々に、「私を求めよ」と呼びかけている。この聖句は、そんなつらく重く恐怖の境遇に置かれている私たちに告げられている。

《わたしを求めよ》 

しかし私たちは、悩みの中に置かれると何をするのか。先ず何とか早く解決をと、あせって悩みと格闘する。周囲の人に助けを求めて、必死に動き回わる。力や知恵のありそうな人や組織、時には神々にも頼ろうとする。しかし本物の神ではない偶像に何の力もなく、人の力には限界がある。「鼻で息をする人間をたよりとするな。そんな者に何の値うちがあろうか」(イザヤ2:22、参照20)。
苦しみや喜びは、それ自体が自立して存在しているわけではない。私たちの生の営みのすべては、いのちの根源である神に結びついている(サムエル前2:3~8)。この一切の根源である方の支えと意図の中に、私たちは生かされている。この事実に気づき、その方に呼び求めることが信仰の祈りである(詩篇107:11~31参照)。
早急の問題解消だけを願い、苦悩の中でいたずらに空回りする祈りであってはならない。苦悩の根源である主なる神に呼び求めると、「主は彼らを苦悩から連れ出され」る。私たちの神は、私たちの悲しみや不安を冷酷に無視する方ではない。むしろ「私に求めよ」と命じる。私たちの神は苦悩のときも共におられる。苦悩を通して救いの手を伸べ、ご自分を明らかにされる(詩篇91:15、16)。

《わたしはあなたを助け出そう》

 「助け出す」とは問題の中から取り出されることだ。神は、私たちを死の綱や滅びの川、敵の手や死のわなから取り出してくださる(詩篇18:4~6)。それは私たちが、悩みの世界から、それら一切を創造し支配しておられる神の世界に移されることである。神は立派な人や強い人、努力の人を助けるのではない。救い主を知り、その助けを謙遜に求める人を助ける(詩篇145:18~20)。苦難は、人を真実に向かわせ、助けは神だけにあることを教える。苦悩は人を神に近づける。
私たちは助けられただけでは終わらない。心から救い主をほめたたえ、感謝と賛美に向かうこととなる。神への賛美に終わらない祈りには、空しさがある。そこには助けだけを見て、助け主を見ない愚かさがあるからだ。信仰とは、このように私たちを愛しお支えくださる神への信頼の中に生きて行くことを意味する。

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