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2012/09/02

9月2日メッセージ「大いなる喜び」

そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。
Ⅰペテロ1:6、7(6~12)


《苦難の中にあっても喜ぶ》

生ける希望の中に生かされ、神のみ力で守られ、朽ちぬ遺産を約束されているので、「あなたがたは大いに喜んでいます」とペテロは言いつつ、「いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならない」と加えている。神の守りの手が届かない場所や時間はない。試練はどうしても「なければならない」必然的なもので、神の計画の中の大切な一部である(2:20~21、4:12)。試練を通して、人は不純な部分が剥ぎ取られ、信仰が鍛えられ練り上げられて、主キリストの前で「称賛と光栄と栄誉に至るもの」と評価され、キリストに栄光を帰すことでもある。苦しみは、渦中にある者にはひどく長く感じる。だが、決して長くなく、「いまは、しばらくの間」に過ぎない(5:10、詩篇30:2)。試練は「さまざま」だが、神の恵みも同じ(4:10)、信仰の年輪は様々の彩りによって豊かに深められる。

《キリストを知って喜ぶ》

次いでペテロは、キリストを愛し信じている喜びを、言葉では言い表せない光栄ある「喜びにおどっています」(喜びをもって喜んでいる)と言う。彼はこの喜びを、イエスの復活以降の、彼を肉の目で見ることがなくなってからの、教会に仕える中で味わって来たのだろう。それで共感を込め、「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており」と言葉を継ぐ。見てはいない主イエス・キリストを愛し信じている。キリストを愛し、彼の中に入り込んで、そこに安らぎ留まっているかのように、信頼し依存している(ピリピ3:8参照)。「栄えに満ちた」とは、旧約聖書に登場する、神の臨在の場を取り囲む栄光の輝きを表現しているのだろう。あたかも天で味わう神の臨在の中にある喜びを、今、目に見えないキリストとの交わりの中で、味わっている。キリストの救いに与かった者は、罪を許され、天国の約束をいただいただけに留まらない。クリスチャンは、救いに関わるすべての祝福を、キリストへの愛と信頼のゆえに、日毎に味わい、継続的に成長して行く(詩篇23:6、Ⅱペテロ1:11)。

《預言者たちの驚く喜び》

さらにペテロは、読者がいただいている霊的祝福が、旧約の預言者たちの予見よりもはるかに偉大であることを語る。彼ら偉大な旧約の信仰者たちが、新しい救いの契約について「熱心に尋ね、細かく調べ」た。そしてご聖霊によって、メシヤの受難とそれに続く栄光(復活と昇天)、その結果の救いの福音を預言した。預言を告げられた聖霊は、今伝道者たちを通してあなたがたにお告げになった。それらの働きはみな、今救いの恵みに与かっている私たちのためであったという。それは天使たちさえも聖い好奇心をもって覗き見、喜びを共にしたいと願うほどの、素晴らしい喜びであり祝福であると告げる。

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