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2012/09/23

9月23日メッセージ「神の言葉に生かされて」


あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
Ⅰペテロ2:1、2(1:22~2:3)


《クリスチャンの生活姿勢》 

私たちが新しく生まれさせられたのは、「召してくださった聖なる方にならって・・・あらゆる行ないにおいて聖なるものとされ」ることだとペテロは教えている(15節)。その具体的な生活指針は、先ずキリスト再臨の際に最終的に与えられる祝福を「ひたすら待ち望」(13節)ことだ。「完全に、全面的に、待ち望む」の意で、「そこにすべての希望を置く」生き方である。次に、「生活のすべての面で聖なるものとされよ」(15節)との命令で、例外なしに言動思考の万事が神のみ旨に適うようにと願って振舞うことを意味する。第三に、「互いに心から熱く愛し合う」(22節)ことだ。「熱く」は、手足をいっぱいに伸ばすことを意味する言葉で、熱心に、全力で、切に、愛し合うことが命じられている。ひたすらの待望、生活の全部を神のご意志に委託すること、教会の兄姉への精一杯の全力を尽くして愛そうと努めること、のどれ一つも不徹底な私たちの現実がある。このままの半端な信仰生活で構わないのか、私たちは問われている。

《クリスチャンの成長する生活》 

「新しく生まれ」(1:3)た「乳飲み子」の私たちは、クリスチャンとしての成長が期待されている(2:2)。新生の恵みの中に生き成長するためには、捨てるべきことと、熱心に求めること、の二つが必要だとペテロは教えている。すでに入っている不要なものを出さなければ、良いものを取り入れることは出来ない。「偽りのない兄弟愛を抱くようになった」(1:22)者には、不適切なものを脱ぎ捨てて行く必要がある。捨てる品名の「悪意」は隣人関係を破壊する結果を生み出す心の在り方で、他者への邪悪な思いを指す。「ごまかし」は偽りを用いて他者を傷つけること、「偽善」は外面の正しいふるまいで内側の悪意を隠していることである(マタイ23:28)。「ねたみ」は自分の分に満足できず他者の持つものに悪感情を抱くこと、「悪口」は他者を傷つける意図を含む悪意ある言葉(ヤコブ4:11)である。偽善とねたみは複数形で書かれて、具体的な行為として生じる様々な局面を指す。悪意と偽りには「すべて」が付され、悪口に「みな」とあって、私たちの捨てるべきことを注意深く促している。

《クリスチャンのいのちの源》 

では、私たちクリスチャンに神が期待しておられる、この大きな課題を、私たちは自力で達成できるのか。神は、私たちが「みな草のようで」(1:24)あり、チリのような無力な存在であることを承知しておられる(詩篇103:14~16)。神は、その言葉によって、この天と地とその万物を創造され、支配し維持しておられる。さらに、神の生ける言葉として、御子を私たちに下さって、小さく愚かで弱い私たちを、神は「とこしえに変わることのない」主の福音の言葉で生まれさせ、成長させてくださるのである。きっぱりと捨てるべきものを捨て去って、他のものには目もくれず、乳飲み子のようにひたすら霊の乳、神の言葉を慕い求めるようにと勧められている。聖書の言葉こそ、クリスチャンを生かし、成長させる糧である(申命記8:3参照)。

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