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2012/09/10

9月9日メッセージ「心の腰に帯を締めて」


ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
Ⅰペテロ1:13(13~21)


《心の腰に帯を締めて》

「ですから」とは、私たちがキリストの死と復活によって希望の中に生かされており、天に資産を約束されており、地上の生涯に神の保護が約束されていることを指す。そのような神の祝福の中に生かされているクリスチャンは、「ひたすら待ち望む」とは、いささかも疑わずに待つことだ。すでにキリストはこの地にお出でになり、十字架と復活をもって恵みの道を備えてくださった。そしてもう一度お出でになる。クリスチャンは、主の再臨とその際の恵みを一番に大事とし、待望して生きる。
その姿勢の第一は「心を引き締め」て待つことで、「心の腰に帯を締め」とも訳される。当時は長い衣服に帯を締め、下をはしょって仕事をした(出エジプト12:11)。「心を引き締めてやる」ことを意味してもいるが、心は思考の場であるから、物事の判断に帯を締めることとも理解できる。考えが定まらず行動できないではなく、「神の人とに仕え得るような判断を下す」ことだ。第二の「身を慎み」は、酔っ払っていない、はっきり目が覚めていることで、クリスチャンとしての自覚を持って、神と人とに自分を制御し責任ある生活をしっかり続けて行くことを意味する(Ⅰコリント16:13、マタイ26:41)。それは次の生き方となる。

《聖なる神のような美しさを慕う》

キリスト再臨を待望する者は、主にお会いするにふさわしい生き方を選択する。私たちは「召してくださった聖なる方にならって、聖なるものにされよ」と勧められる。それは「あらゆる行いにおいて」の悪からの分離と義の生活への献身を意味する。行いとは生活のパターン(生き方)を指す。救いに与かる前は、自分で何でもわかっていると思い込んでいたが、「無知であったときのさまざまな欲望に従う」悪い生活パターンであったとある。それはただ、自分のしたいこと、自分の願いのままに生きていただけに過ぎない。だが、私たちは今、神の子とされ、「従順な子どもとなる」ことが具体的な目標として与えられた。神の子にふさわしい、美しい義の生活パターンへの献身が求められている。美しさは他者の救いにもつながる(2:12、3:1、16)。聖は自力で達成するものではない。「聖なるものにされなさい」とあるように、欲望と決別し、神にすべてを委ねることで神のものに変られて行く。神に従順に仕えて行こう。

《神を畏れかしこんで過ごす》

私たちの地上での生活は、決して永遠でもなく、それがすべてでもない。「地上にしばらくとどまっている間の時」(17)に過ぎない。その「しばらく」を大切に過ごすには、その期間を私たちに提供し、私たちのわざのすべてをさばかれる神の不興を恐れることだ(ロマ14:12、箴言1:7参照)。神は、現在の私たちの営みを左右なさる方で、罪には厳しい懲らしめを与えて訓練なさる(4:17)。神を恐れかしこむことは、信仰生活の基本だ(Ⅱコリント7:1、コロサイ3:22)。神への畏れは、御子の大いなる贖いを土台とすることは、すでに旧約の民の経験していることで、信仰の基本的生活パターンである(レビ11:45)。私たちの生活パターンが、今、そうなっているかが問われている。

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