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2012/10/29

10月28日メッセージ「いのちの恵みを夫婦でともに受継ぐ」

同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。
Ⅰペテロ3:1、2(1~7)


《キリストの模範に倣い》 

ペテロは、当時の社会制度の下で秩序を守り、使用人の主人に対する姿勢を示し、ここで夫婦のあり方を教えている。しかし、妻に対するペテロのここでの教えや、パウロの「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように自分の夫に従いなさい。」(エペソ5:22)は、女性蔑視の父権社会の名残だとして、取り上げない人もいる。この段落での教えの分量も、夫に関しては1節だが、妻に対しては6節もの長さである。これも、女性を軽く見ている偏見の証拠だと言う。だ分量は、読者の多くが女性であったからとも言われるが、著者の主張を明確にするために必要な言葉を用いたとすべきだろう。
しかも、冒頭の句は「同じように」、つまり「主キリストの模範に倣って」、妻も夫も行動すべきだと、使徒ペテロは勧めている。キリストの十字架の足跡をたどるに、女性男性の別はない。「ののしられてもののしり返さず」で、不当な扱いにも屈せず、正しくさばきたもう神を信頼し、実を低くし仕える道をたどる。

《妻としての振舞い》 

キリストに倣って、妻は夫に進んで従う。それは相手の機嫌を損ねないようにというのでもなく、強いられてではない。神を畏れて神のものになりきっているような、妻の敬虔な振る舞いは、妻と接して生活している中で、夫自身が変えられ神のものとされるからである。日常生活を共にしている者の間では、無言の行動こそが、当人の信仰を雄弁に証しする。多言は逆効果でしかない。「みことばに従わない夫」とは、未信者の夫、または一度信仰を持ちながら今は説教の言葉も聖書の教えも受け入れなくなった夫、を意味する。そのような夫であっても、もう一つの救いの道がある。それは妻の無言の行いだ。口で言うのではない、説教しない、ただ黙って敬虔な歩みを続ける。当時、夫の宗教的儀式に同行しない妻は離縁も当然とされていた。しかしクリスチャンの妻たちは神を畏れ、その許されないことをしたのである。夫に依存し夫を失うことを恐れていては、神を畏れ、神だけに望みを置いて、妻として夫を本当に重んじて仕えることは出来ない。「心の中の隠れた人柄」(4節)とは妻のそのような信仰的人格を意味する。その無言の行いが、夫を神の下に獲得することにつながると約束されている。

《夫としての振舞い》 

「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい」(エペソ5:25)とパウロも勧めている。夫も「同じように」キリストに倣って妻に仕える。「わきまえて」は「知識に従って」で、女性としての妻の置かれている家庭や社会上の立場、妻の願望や能力また性格、夫婦に関する神の計画などを含む、妻への理解を意味する。それは妻との交わりを規則的に持つことによってのみ得られる知識でもある。妻への理解に加え、尊敬の念を抱いて生活を共に続ける(箴言19:14)。妻も、夫の自分と同等の霊的な特権と永遠のいのちを受継ぐ「共同の相続者」であることをわきまえている。そのような妻への理解と尊敬を抜きにした時、神は介入し、夫のどのような祈りも、神は良しされない。この警告は重い。

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