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2012/10/07

10月7日メッセージ「私たちは旅人」


愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行ないを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。
Ⅰペテロ2:11、12(2:11~25)


ペテロはキリストの死と復活による救いを受けたクリスチャンの、この世界での具体的な人間関係についてのあり方を、ここから教えて行く。「神の所有とされた民」の基本原理に、先ずは言及する。

《地上では寄留者として》 

聖書は倫理的勧めを語る際、必ずと言ってよいほどに「愛する者たち」との呼びかけから始める。勧めは、決して私たちを拘束するものではなく神が愛する故の勧めであり、愛されている故に正しい行為が生まれるという現実を知らせるためだろう。また、クリスチャンは天の御国に本籍と持ち(ピリピ3:20)、御国を目指す地上の旅人である。周囲は異邦人でありキリストの真理を理解できない人々であり、誤解と軋轢が当然に生じる。周囲と妥協し、地上の生活が全部、世間からの評価を得、財産や成功を目指すだけに留まってはならない。旅にとって大事なことは、目的地に着くことであり、それを排除した途中での楽しみは意味がない。私たちクリスチャンにとって最大の評価は、再臨のキリストの言葉にある。ヘブル13:12~14参照。

《立派に振る舞う証人として》 

クリスチャンは旅人であるが、「旅の恥はかき捨て」という姿勢であってはならない。むしろ「肉の欲を遠ざけ・・・異邦人の中にあって、りっぱにふるまい」、天国の民としての証を立てるように勧められている。この地上での自分たちの生活ぶりによって、目に見えるこの世界はやがて滅びるものであり、また別れなければならないものであることを、神を知らない周囲の人に証しするのである。その振る舞いを美しく保ち、愛の言葉と行いで、私たちの救い主を証しする役目が託されている(マタイ5:16)。もちろん、私たちは自分がそのような振る舞いに程遠いことを承知している。だが粗末な証人でしかあり得ない自分を心得えながらも、その役目から逃げてはならない。こんな自分を愛してくださるキリストに、悔い改めながらも、精一杯に仕えて証ししよう。神は、このような罪深い愚かな私さえも、なお愛してくださっているのだと。

《自由人なのに奴隷として》 

地上のものはやがて過ぎ去る。しかし、今は「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい」と勧められている。私たちは罪を赦され、すべての拘束から解放されている自由人である。そして私たちは、その自由を、あえて人に仕える奴隷の立場を引き受けるために使うように勧められている(ガラテヤ5:13)。罪ある人間がこしらえて社会秩序であって、極めて不公平なものも多い。だが、神は「主のゆえに従いなさい」と言われる。「愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだから」(15節)とある。いたずらにそしりを招いて、福音宣教の道を妨げてはならない。キリストの苦難の姿勢に、弟子として学んで歩もう。パウロもまたその道を進んだ(Ⅱコリント6:3、4)。

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