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2012/11/11

11月11日メッセージ「キリストの死と復活に導かれ」


キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。
Ⅰペテロ3:18(17~22)


私たちがクリスチャンに召された目的は、日毎に神の祝福を受け続けることにあると、ペテロは教えている。具体的には、悪をもって悪に報いず、かえって祝福をもって受け答えすることである。悪に善を返しても感謝が帰ってくるとは限らず、時には悪意と軽蔑を受ける。だが、ペテロは言う、「神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよいのです」(17節)と。そして以下に、キリストのなさった例を出して私たちを励ます。

《キリストも罪のために死なれ》 

キリストは正しい方であるにもかかわらず、悪い人々(つまり私たち)の身代りとなって罪を背負って十字架の上で死んでくださった。ここに、善を行って苦しみを受け耐え忍んだモデルがある。キリスト「も」、私たちと同じような苦しみをなさったのだ(2:21)。ただ彼の場合は、まったく罪がないのに、ただ「一度」だけ決定的な十字架の死という苦しみによって、「私たちを神のみもとに導くため、神にお会いできるようにするため」の「も」であった。私たちの場合は、罪に塗れていて、祝福しようと苦しんだとしても人を神のみもとに連れて行くことなど不可能だ。私たちのささやかな苦しみに比して、全く次元の異なる苦悩をなさった主が「わたしも」と励ましておられる(ヘブル4:15)。

《キリストは勝利なさって》 

19節は解釈が困難で多くの説がある。「捕らわれの霊たち」は、死んで今よみにいる不信者のこととも解せるが、20節のノアの警告に従わなかった不信者のことを指すものと理解する。多くの教会が古くから告白してきた「使徒信条」に「主は・・・十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり」とある。よみに下ったとしたら、主は高らかに勝利の宣言をなさったと解すべきだろう。「わたしは天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」(マタイ28:18)と宣言された復活の主は、「御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられ」る(22節)。天も地もよみさえも支配なさる勝利の主キリストは、地上で苦しんでいるクリスチャンの経験ひとつひとつをご覧になっておられ、最終の勝利に向けて歩むに必要な助けを与えてくださる(22節)。

《キリストの復活によって》 

昔ノアたちは、信仰によって神の指図に従って箱舟を作り、全世界を滅ぼす大洪水から救出された。ペテロは、死をもたらす大洪水からのノアの救出の事件を、バプテスマの予型であると言う。バプテスマは、「正しい良心への神への誓い」を意味する。キリストの死と復活を信じている私たちは、幸いな良心をもって神に願い出ることの出来る立場に生かされている。神の右に座す方の力によって、罪の魔力から開放されている。感謝にほかならない。「今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」(ロマ81、2)。

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