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2012/12/02

12月2日メッセージ「万物の終わりの時代に」


万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
Ⅰペテロ4:7、8(7~11)


《万物の終わりが近づいている》 

キリストの到来とともに、終わりが始っている。この世に存在するすべてのものに終わりがある。迫害を続ける権力も、悩まし続ける問題も、そして人のあこがれる立場や名誉財産も、やがて終わりが来る。そしてすでに始っている神の国に移行する。世と世の欲は滅び去る(Ⅰヨハネ2:17)。私たちは、「地上の残された時」を、寿命との関係だけでなく、神が世を閉じられる終末との関係でも考えなければならない。すべてが滅びるのだからと、「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。」(Ⅰコリント15:32)と絶望してはならない。むしろ「祈りのために、心を整え身を慎み」ことである。心を整えるとは正気の状態を指し、万物に計画をもち、支配しておられる神が、それら一切を終わらせ、新しい時代を始めようとしておられることを承知していること、目を覚ましていることを意味する。身を慎むとは、いたずらに感情に走らず、世相に惑わされたり欲望に走ることなくの意である。すべてが神のみ手の中にあって新しい世界へ移行することを信じて、神に栄光を帰し、神に委ねて行くことが、ここでの祈りであり、私たちの課題である。

《互いに熱心に愛し合う》 

このような時に、「何よりも先ず」何を差し置いても私たちが着手すべきは、「互いに熱心に愛し合う」ことだ。愛は冷めやすい。特に自分に不都合が生じたり、相手の罪に出会うと、怒りや憎しみに容易に変わりやすい。真実の愛は、罪に出会って試される。だから熱く保つことが必要だが、人の中からはその熱心さは出て来ない。「互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているからです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。」(Ⅰヨハネ4:7)とあるように、キリストを通して神の愛を知ったところに、神からの愛が注がれる。キリストに従おう。私たちの主は、私たちの罪によってその愛を冷やされたどころか、かえって燃え上がらせ、人の罪を覆って温かく包み覆ってくださった。私たちの罪をご自分のもののように引き受けて、私たちの罪の傷を癒してくださったのである(Ⅱコリント5:21、イザヤ53:4、5)。私たちは相手の罪を覆うほどに愛することをしているだろうか。相手に私に対する罪があれば、容易に許せず、ましてや愛することなど放り出しているのではないか。自分お好みや都合を優先させ、「何よりも先ず」を放棄していることを反省し、熱心に愛することに立ち上がろう。

《神から賜物を用いる》 

私たちはみな、「恵みの良い管理者として」(10)の役目をいただいていいる。賜物あるいは恵みとここで言われていることは、私たちに託された役割であり、そのための能力やチャンス、時間などのことである。それらを用いて、互いを愛し合い、仕え合うことである。それが教会の交わりであり奉仕である。私たちの自力だけでするではない。「神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく」(10)とある。神の力が、私たちの語る言葉、奉仕の業に見られるとは何と言う光栄なことか。

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