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2012/12/09

12月9日メッセージ「燃えさかる火の試練の中で」

愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
Ⅰペテロ4:12~14(12~19)


《燃えさかる火の試練に》 

悪意で試みられることは不愉快だが、鍛錬されるための試練は避けるべきものではない。聖書の「試練」は「誘惑」とも訳せる言葉だ。パリサイ人がイエスを陥れようと悪意の質問をしばしば仕掛けたが、その場合は「試そうとして」と訳されている。悪魔も、人を駄目にしようと悪意の誘惑を仕掛ける。だが人には誘惑なのか試練なのか判然としない場合も多い。問題の出所を詮索するよりも、何事に対しても信仰的に受け止め、神を仰いで対処し続けるならば、問題の試練は良いことに変わる。アスリートに練習は欠かせないように、試練はキリスト者に必ず付随するものと覚悟しておこう。私たちは、苦しみが続くと、「どうして自分ばかりが苦しみに遭うのか」と不審がり、「神に見放されているのでは、このような扱いは不当だ」とつぶやく。すでに悪魔の誘惑のわなの中に陥っているからだ。迫害や病気、努力しても結果が出ない。だがそれをいぶかってはならない。「燃えさかる火の試練」とは、精錬の高熱の火を指す。試練は、私たちの信仰を鍛える神の計らいであることを確認して受け止めよう(1:7、詩篇66:10)。

《今も後も喜びに》 

精錬の高熱の火は、純金よりも尊い真実の信仰を私たちのうちに与えようとの、私たちへの期待を込めた神の扱いである。それをあってはならないもののように、いぶかって退けてはならない。「いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが」とペテロはその必然性を述た(1:6)。そしてここでは、より積極的に、「むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。」と勧めている(13)。今の厳しい試練の中でキリストの苦しみに与かることを喜び、将来の再臨の主に会う際に喜びおどる者になることを期待してである。「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」との主イエスの声が、ペテロの耳に響いていたのだろう(マタイ5:10)。

《キリストの名のゆえに》 

苦難の原因が自分の不始末のためであるのは論外だ。「キリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです」(14)とあるように、キリストに従うゆえに引き受けなければならない苦難にこそ、意義がある。自分の罪の結果の苦しみは当然の報いに過ぎない。キリストに結ばれているゆえの、信仰の故の苦難は、神の前に覚えられている。「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです」(マタイ5:11)を改めて心に留めよう。

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